東京都世田谷区~羽根木プレーパーク、梅丘図書館
協働の宝庫
小田急線梅ケ丘駅北口から徒歩で、約5分のところにこんもりとした森があります。羽根木公園です。今朝は、思い立って、ぶらり散歩をしてきました。
ここは小高い丘になっていて、六郎次山と呼ばれていました。また実業家で茶人だった根津嘉一郎(鉄道王・財閥)の所有だったことから、根津山ともいわれた雑木林でした。
こんもりと繁った木々に生命感、勢いを感じました。
この羽根木公園、2月には梅まつり、10月には”~障がいがある人もない人も垣根を越え~”をテーマに行われる雑居まつり、すっかりお馴染みになりました。
ここは、いつも何かしらのイベントをやっています。
他に野球場、テニスコート、児童遊園、球戯広場などがあります。
あっ!忘れるところでした。
約650本の紅梅白梅は見事です。
それから何といっても、日本におけるプレーパーク発祥の地です。
1979年、国際児童年と時を同じくして立ち上がりました。
プレーパークとは、官製の公園、または既成のブランコ、シーソー、鉄棒などの遊具のある公園、また大人が用意した遊び場と違い、一見、無秩序のように見えて、子どもたち自らが想像力で工夫し、遊びを都市公園の中で作り出す、冒険遊び場のことを基本としています。
随分、ご無沙汰しましたが、久しぶりに羽根木プレーパークの地に立ちました。
1979年前後の頃が思い出されます。
公園課と侃々諤々(かんかんがく)の事務折衝、社会教育課職員、児童館職員のSさん、建築家のO氏、重光葵外相の秘書で元外交官のI.・Oさん、子供会やジュニアリーダーのAさん、当時の皆さんの顔が浮かびました。 ん~ッ 若かったね。
プレーパークの協働の精神は、この頃のファシリテーションから醸成されていったのではないかと思います。
帰途、羽根木公園の一角にある、梅丘図書館に立ち寄ってみました。
館長のKさんと意見交換。世田谷区は社会教育はまだまだ健在のようでした。
本市にも、こうした環境でのプレーパークの必要性をつくづくと痛感しました。
パークゴルフ場建設と同様、多くの議員が提言しても、中々実現できていない現実があります。悩ましいです。
一方、財政状況が厳しいというわりに、行政主導のハコモノ建設は「堅調」に進んでいるようです。何故なんでしょう。
そもそも地方自治法では議員は、予算編成権や執行権を保持していません。
隔靴掻痒(かっかそうよう)、しかし行政執行部に政策を任せ、議会は行政提案ばかりを審議するのが役割ではありません。
もちろん議会と行政は権限・機能が異なり、二権分立(立法府と行政府)です。
一方、地方分権時代、二元代表制が言われて久しいです。議会は執行部任せではなく、議会自らも政策を提言していくこと、また行政も、議会の政策提言に耳を傾けいくことが求められているのでないでしょうか。
*世田谷区内には、羽根木のほかに、世田谷プレーパーク 駒沢はらっぱプレーパーク 烏山プレーパークがあります。
NPO法人プレーパークせたがや←詳細はここをクリックしてください。
鬱蒼(うっそう)と茂った森、今日みたいに暑い日はとても助かります!
右に茶室・日月庵(にちげつあん) 左に休憩所・星辰堂
日月庵
1988年、京都久田家に残る「半牀庵(はんしょうあん)を基本として建築されたもの。玄関上には、作家・井上靖氏揮毫の扁額があります。
茶道・小笠原流 小笠原 宗佳 先生と、偶然お会いしました。
元ミス世田谷です。ドッキリ! 何年ぶりでしょうか?
40年前の第1回”梅まつり”の茶会では、大変、お世話になりました。
星辰堂 古民家の部材を活かし、伝統的建築技術と新たな建築技術を融合させた建築物とあります。
羽根木プレーパーク
以前は中央館機能を持って30万冊の蔵書を誇っていた梅丘図書館ですが、現在は10万冊、駅に近く、とても便利な地域図書館として活用されています。