水の道 | 地方政治の未来を創る 秦野市議会議員  古木勝久

水の道

秦野・曽屋水道について



はだの歴史おこしの会主催による定期講演会が、北公民館で開催されました。


テーマは「曽屋水道について」 

講師は桜土手古墳展示館 館長・霜出俊浩氏(学芸員)でした。


日本で3番目にできた「水道」というより、国の支援を受けずに、地域の有志が中心となって事業を推進し、使用者一同が私費をもって敷設しました。


また、のちの産業界の発展、特に本市の形を作り上げた、煙草産業や秦野木綿業等にとって、大きな役割を果たしました。


日本における近代水道(上表)は、殆どが国策であり、軍事優先の富国強兵策の延長線上にありました。


本市のケースでは、やや異なり、市民生活優先=民生からスタートしたようです。従来の用水路を発生源としてコレラが流行、

25人の死者を出してしまったため、飲料水の改良が急務でした。


ちなみに、『秦野の近代遺産』秦野市教育研究所発行によると、明治44年12月秦野町は水道敷設功労者として梶山良助・川口直次郎の2名と前助役の三武久太郎氏在勤中の功労を称えて曽屋水道貯水池の庭園で表彰を行っています。
       

明治期の絶対主義体制にあって、秦野の水道の歴史は、先駆的な地域主権の”香り”がするのは、なんとも不思議な気持ちです。


今日の講演会の最後には、この会にお招きを受けた、久保寺邦夫県議会議員ともども、挨拶の場を頂戴しました。

ありがとうございました。