一極集中から地方回帰へ 2
危機感だけでは、解決しない
あっという間に3が日が過ぎてしまいました。地方紙と地域紙を整理していたら、共通のフレーズを発見しました。
~各自治体が生き残りをかけて、競争をしなければならない。
~消滅しないため、都市間競争に勝ち残らなければならない。
~人口減少に立ち向かっていかなければ、地方が滅びてしまう。
誰が誰に勝たなければならないのか、とにかく相手が分かりません。それとも県内では、横浜や川崎に勝たなければならないのか? 横浜や川崎のような都市にならなければ、消滅してしまうのか?
バブル崩壊後や平成の大合併にも、似たようなメッセージが発せられていました。
人口が右肩上がりだった秦野の戦後史が甦ります。
幸い、戦後間もない頃の秦野は失業者対策事業に取り組むことはありませんでした。産業は、農業と煙草専売局工場に基盤が置かれていました。それでも、就職は厳しい時代でした。
昭和30年代から、戦略的な企業誘致が始まりました。
昭和56年には東名高速道路のインターチェンジが完成しました。
この期間で人口が爆発的に増加しました。
急激な変化は、秦野に様々な豊かさと影をもたらしました。
慶應義塾大学の片山善博氏の言葉を借りれば
「地域経済の欠陥は、お金が域内に残らないことだ。」
お金が首都圏に流れ、秦野固有の文化は失われ、更に利便性ゆえの両刃の剣で、購買力も労働力も域外へ流出してしまう可能性が大きい都市に変貌したのではないでしょうか。
よくよく考えてみると、豊かさだけに安心してきました。こうした影に目を背けてきたのではないかと思います。
30年以上前に市内に移転してきた方が
「秦野には文化が見えない。街中に歴史的な空間がない。子どもたちに伝えていく固有の文化が眼前にないような気がする」と言っていました。
勿論、このことを全面肯定をすることはできませんが、考えさせられる印象的な言葉です。高度経済成長から平成不況にあって、ひたすら首都圏の有様に右へ習え、同じような手法で、同じような都市の論理で新陳代謝を繰り返してきました。
先進的なモデル事業や特区事業に目を向けるべきだと云う方がいらっしゃいます。これらも右習えの発想でしょうか。
また、いたずらに危機感だけを煽ってはなりません。
平静に地域経済の欠陥を分析しながら、その地域の知恵や資源の中から、弱みと強みを見極めて、地方の論理、新しい地域の形を作っていくべきであると思います。