公民館はどこへ行く(3)
南が丘公民館の話をしました。
「古木さん 南が丘に公民館ができる前、私たち団地住人は、この地に、住民の創意工夫で自由に活動できる、コミュニティセンターを作って欲しいと思っていました」
でも役所は「この施設は、国の補助金が入り、人が入ります。ですから公民館になります」
こういう市役所の返事で、今の公民館ができたということです。
Aさん「でも、結果的には。よかったですね」と振り返っていました。
何故、良かったか。いろいろ話しているうちに、かつては役所が住民の活動にあれやこれやと口を出されるから嫌だと思っていたらしいです。
でも「公民館自主事業や公民館と公民館の連携、そして何よりも職員がいること、特に調整機能がしっかりしているから安心ですね。職員がいて即決即断も」
彼はもう一つ大切なことを言っていました。市民力の流動性です。高齢化している中で、住民の意識は10年前とは、全く異なっていることです。
確かにおっしゃるとおりです。市民力というのは、継続的な制度や確固たる機能ではありません。社会の変化に流れていきます。
しかし、公民館の機能は、社会教育法で定められ、継続性があります。一方、この先、秦野市の公民館の中身が変わっていくような気配をみせています。
社会教育無用論が言われて久しいです。近い将来、今の公民館機能が失われる時代がやってくるかもしれません。
いや、この10年の公民館の歴史を調べてみると、公民館の機能は失われつつあります。
「社会教育の充実なくして 生涯学習の振興なし」
一橋大学社会学部教授 藤岡貞彦氏のこの示唆は、興味深い内容の論文です。
秦野市が向かっている先は、明らかに貸館・ハコモノの機能だけを次代に繋げていくもの、自己実現のためだけのカルチャー館のような様相を呈しているようです。
装いを変え新しいハコモノに変わらないためにも、多くの方々が声を上げ、公民館の役割をもう一度考えていきたいです。
地域の繋がりや地域の絆、社会教育の充実によって育み、培っていくべき公民館は、まさに行政のフロントパワーの宝庫です。