教科書増ページ
教科書ページが増量
最新の高校の教科書分厚くなりました。25パーセント増ペ
ージ。文科省も学力不足批判を受けて、何とか
しなければという検討の結果なのでしょう。
ある方が
「学力を身に着けることは悪いこととは言えませんが、学力を使っ
と言っていました。
私は、違う危惧を抱きました。少し前、話題になりました「未履修」の問題です。確か「世界史」などの選択科目を履修しないのに、履修したことにする。偽装です。新聞紙上を賑わせました。
現状が今、どうなっているか知りません。
一方、小学校でも平成23年度、中学校でも平成24年度から授業コマ数が増えました。
小中学校の教科書が増量になったかどうか知りませんが、授業コマ数が増量しました。ページ数については調査します。
私たちの時代もそうですが、例えば「歴史」などは、「受験に出ない」からという、まことしやかな理由があったためか(?)
戦後の歴史は殆ど「自主学習」という名目で、流されました。
私はそれよりも気になること
「学力を使っ
確かに、一理あるように思います。
かつて「円周率3.14を覚えて何の意味があるのか」と言った、当時、文科省に影響力のある有名な文化人がいました。
実学的に言えば、そうかもしれません。しかし、数学に限らず、学問というのは、”原理原則”を学ぶことです。
この基本を省略して応用も現場体験重視もないと思います。
学校教育に、「現場第一主義、体験重視」を語られる時、その方の目は生き生きとしています。
しかしながら、あまりにも今、置かれている学校の現場を捨象しているのではないか思います。
あまりにも昔の学校の風景が、二重写しに見えるのでしょうか。
私もPTA本部役員やおやじの会、青少年相談員などをやりながら、学校を見てきました。
学校行事、部活、生徒指導、○○教育、研修、体験学習etcなどで、追いまくられている生徒、先生を見てきました。
じっくり生徒と向き合って、いつ授業をやられるのか、本当に疑問です。
十分すぎるくらい、あれもこれも子どもたち頑張っていると思います。これ以上、大人は何を子どもたちに要求しているのだろうと、天を仰ぎます。
大人の方が、知識も体験も豊富です。しかし、だからといって、気づきの視点で箸の上げ下ろしに、「そうだ、あれもやって欲しい。これもやって欲しい」と言うのは親の欲目に似たものです。
教育委員会、学校がどうのこうのじゃなくて
今、大切なことは、基礎学力を子どもたちに保障していくことだと思います。
昔、下町・江戸川区でセツルメント活動をしていました。
数人で、出前寺子屋を担当していました。
今ほど、部活動も盛んでなく、学習塾もなかった時代です。
テーマは「教科書が理解できる喜び、新しいことを知る喜び」
だったように記憶しています。
子どもたちの目が輝いていました。
合間に、丹沢にデイキャンプに行きました。
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私たちは仕事の中で、様々なことを学びます。
仕事の中で、仲間からの影響を受け、成長します。
子どもたちも同じではないかと思います。
昔同様「読み・書き・そろばん」で、学び合いの精神を身につけ、仲間と成長していくこと。学習の中から、忍耐や寛容が育まれると思います。
大人が良かれと、子どもたちはこうだからと、都合でメニューを用意していくことは、身勝手というものではないでしょうか。
20年前の「失われた時代」の焼き直しが必要だという、愚かな考えを持ち出す人もいます。
もっとしっかりした、「ゆとり教育」をしていれば良かったと・・・。
まるで、インチキ健康食品会社の考え方と同じです。中途半端だったからいけない、もっと常用すべきだったと。
私たち大人や政治は、もっと現場の声や風景に目を傾けるべきと思いますが、いかがでしょうか。