食とクリエイティブ② 〜少し脱線して・・・〜 | えぇじゃないか。。の五穀豊穣記

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食は生活そのもので、私たちの伝統とも深く結びついています。
本ブログでは生活の基盤である「食」を大きなコンセプトとし、
それに関連する歴史的背景や社会情勢など独自の視点を織り込み、
少しでも面白い記事が書ければと思います。

みなさん こんにちは 奥川です。

・・・・・今日は記憶を辿って書き進めますので、数字の誤差はご容赦ください・・・・・

「飽食の時代」と言われてからしばらく経って、世の中も変化してきました。
私たちの生活が豊かどうかは別にして、最寄りのスーパーに入ればすぐに飽食かどうかは確認できます。

私たち大部分の都市生活者は「お金」というものを渡すことによってどこかの誰かから「食べもの」を分けてもらっています。
私も今までの人生で、例えばマクドナルドにハンバーガーを買いに行って、お金を払っても売ってもらえなかった、ということはありません。100%成功しています。

我々人類の歴史はおよそ700万年と言われており、その歴史の大部分を狩猟・採集することによって命を繋いできました。ところが、その歴史の約0.2%以下にあたる今から約13000年前に食料を人工的に生産する技術を獲得しました。「農業」です。人類最初の農業は肥沃三日月地帯と言われる現在内戦中の中東のシリアあたりで世界に先駆けて行われました。最初に生産されたのは麦やオリーブなどです。それから遅れること約3000年、中国で2番目に農業が生まれました。

人類の歴史上、農業の発明は革命的で計画的に食料を生産することによって、少ない人数で多くの人口を養うことが可能になりました。結果、職業軍人、政治家、学者、貴族、商人・・・などコミュニティの中での分業が可能となり、国家が誕生しました。狩猟民族と農耕民族と聞くと、「狩猟」の方が強そうに感じるかもしれませんが、歴史は常に農耕民族が狩猟採集民族を追いやって現在に至ります。

簡単に言うと、「農業を発明し、食料をコントロールできたものたちが他のものたちを駆逐して生き残ってきた」というのが歴史の事実です。

それからはるかに下ること数千年、日本の弥生時代にあたる今から約2300年ほど前に、中国にはすでに巨大な法治国家が存在しました。初めて中国全土を統一した「秦の始皇帝」で有名な秦という国です。そんな昔に人々の生活の細々としたところまでを法律で縛ったため、受け入れられずに実質10年強で崩壊した国家です。

日本がまだ半原始時代のような時に、中国では国家同士が何万、何十万という軍隊を戦わせていました。諸子百家と言われる人々も出現し、兵法なども発達していました。「皇帝」という称号は秦の始皇帝になった秦王が発明した造語です。中国全土に乱立していた「王」という存在の上の称号が必要だったのでしょう。ここでこの乱世の「王様」という存在は面白くて、その出生は様々です。秦を倒した漢の初代皇帝「劉邦」は田舎のごろつき出身です。その他盗賊出身の王様も何人もいます。

簡単に言うと、この時代の王様になる条件は、「軍隊を腹一杯食べさせることができるか」ということだけでした。規模が大きいと一国の王ですが、小さいと中小零細企業の社長といった感じです。軍隊を食わせることができなくなった王様は殺されるか、より大きな国の王様に身売りして吸収されるかの道を辿りました。

戦争する大義名分も、数十万に膨れ上がった自軍の兵士を飢えさせないために、相手の食料を奪うこと自体が目的化していました。「食」を支配することがダイレクトに「リーダーシップ」に結びついた時代です。飽食の時代であるはずの現代でも、人々は会社をクビになって食べていけなくなることを「想像して」恐れて、嫌なことでも社長の命令には従います。

こういった話しから私が思うのは、命の危険に怯えることもなく、自分で食料を生産しなくてもどこかの誰かが毎日分けてくれる、という現実はやはり特別なのだろうということです。「食」を巡って人類は長い間命をかけてきました。
例えば「領土問題」の根本は「食」ですから、命がけになる人たちがいるのです。

だいぶ脱線しましたが、ビジネスをはじめ、本当に豊かな食生活を体現するためにはこのような人類の歴史への理解も必要なのかもしれません。


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