今日は2019年3月11日です。

 

 

東日本大震災から8年の歳月が経ちました。

 

 

あの日を振り返って

色んな思いを馳せている人は多いと思います。

私もその一人です。

 

 

まずは多くの犠牲になった方々、

犠牲になった動物たちに

心から哀悼の意を表したいと思います。

 

 

震災直後の2週間後から去年までの約7年間

知人から被災動物の救援依頼を受け

福島県警戒区域内で被災動物の保護活動をしてきました



復興どころか捜索もままならない警戒区域内で

私達はほんとうに多くの動物たちの死と向き合いました。

 

 

 ↑この子は、田んぼの真ん中でぬかるみにはまって動けなくなっていたところを救出しました。

何日間その状態だったのかは分からないけど、散歩中だったのか、避難中だったのか、リードがついたままでした。



県内には、犬猫を始め牛豚羊鳥魚から爬虫類等、

残された動物たちだらけでした



最初に見た時には生きていた彼等も

次の週には亡くなっている、

共食いするもの、

糞尿で命をつなぐもの、

脱出しようと試み絶命するもの……

人間がいなくなった町で
自力で生き延びようとする彼等の壮絶な姿がありました

 

 

日本で餓死なんて…

そんな姿もたくさん見ることになりました。

 

 

最初の数ヶ月は失われた命を見るたびに

みんな嗚咽をあげて泣いていました。

 

 

しかし、

打ちひしがれている時間はありませんでした

滞在時間が限られているなか

時には声をあげて涙をこぼしながら

現地で活動していました

 

 

「ごめん…、ごめんね、助けてあげられなくてごめんね」



まるで自分が彼等の命を奪ったかのような責任を感じ、

その罪を償うかのように必死に

毎週、毎月被災地に入っていました。

 

 

何百、何千という彼らの最期の姿に

土をかぶせる時間もなく

目を伏せ通り過ぎることしかできなかった

 

 

悲しい・・・を超えてしまった私達は


「何も感じないようにしよう」


まるで何も見なかったかのように

現実のこととして受け止めないように

心を殺していくしかありませんでした

 


淡々と黙々とやれることをこなしていました

生きている生体のことだけを考えて

 


耐えられなくて現場に足を向けられなくなった人もいました

鬱になって心が壊れてしまった人もいました

悲しみの矛先を行政との戦いに向けた人もいました

 

 

 

私の心も色んな方へ大きく揺れ動きました

 

 

生きていたのに助けられなかった…

全員は連れていかれない

どの子を連れて行くか…

 

 

最初は悲しくて悲しくて辛いばっかりでした

 

 

だんだん怒りが湧いてきました

確かに人命第一だとは思うけれど

それにしても完全放置はないんじゃないかと

 

 

それから自分を責めるようになりました

自分もその人間と同じ人間の一人だと

 

 

活動を続けることが唯一の贖罪だと思っていました

 

 

悲しみ→怒り→自分責め→贖罪(保護活動)→悲しい

 

 

このサイクルを何年もずーっと繰り返していました

でも、繰り返しているなんて思ってなかった

このサイクルの中にいる時は気づかなかった

 

 

 

私は毎年、この日を違う思いで迎えてきてました。

振り返って書き出してみると、

保護活動でも私生活でも同じ思いが起こって同じような現象と向き合っていました。

 

 

震災から1年目は、寝ても覚めても深い悲しみの中にいました。


2年目は、気持ちだけが焦ってうまく事が運ばずもどかしい日々でした


3年目は、不満が湧きあがり、揉めたくなくて払拭しようと葛藤していました


4年目は、怒りが溢れて、どこにもやり場がなくて、矛先は自身に向いていき始めました


5年目は、むなしさと絶望感でいっぱいでした。何もかもうまくいかないように感じてました


6年目は、自分自身に疑問を抱き始めました。頭と心が分裂してるようで苦しかった


7年目は、うまくいってない現実を変えるには、自分と向き合う必要性を感じました


そして、8年目の今日。

 

 

震災から5年目頃は自傷行為に傾きました。

保護活動でも私生活でも、人間であることへの虚しさやうまくいかない絶望感に包まれていて

生きる希望(目的)がなにもないと思い込んでいました。

 

 

自殺に失敗したときに

本当は死ぬのご怖いんだ

本当は自分は死にたくないんだと気づきました。

でも、心の中の生きることへの絶望感はなくならない…

 

 

「これからどうやって生きていったらいいんだろう」

「こんなに苦しい思いを抱えながら毎日過ごしたくない」

 

 あぁ、そもそもこんなこと考える自分がやだ



どうにか気持ちを軽くできないか

なんとか自分の思考を変えられないか

そんな風に思って自己啓発の本を買ったり

セミナーにいったり

カウンセリングを受けたりするようになりました

 

 

何をやってもなんかしっくりこない

その日、その時はすごく軽くなって前向きになるけど

翌日、その数日後にはまたもとに戻る

 

 

そんな「駅前のマッサージ効果」のようなことを

何件も繰り返していました。

 

 

この本は薄っぺらい理想論ばっかり

このセミナーは講師がそもそも面白くない

このカウンセラーは自分とは合わない

なんだかんだいちゃもんつけて

次々とジプシーしてた

 

 

駅前マッサージで

とりあえず症状を一時的に緩和しても

原因解明して元を治さなきゃ繰り返し痛みはやってくるだろう

 

 

思考(心)もそうかもしれない

「根本から変えなきゃ意味がない」と気づいた時

2011年に買った心屋仁之助の本「自分がイヤだと思ったら読む本」と

心屋塾初級セミナーのDVDのことを思い出しました

 

 

再びDVDを見た後、実際に会場に行きたいと思って

心屋塾の初級セミナーを受けることにしました

(それからのことはブログに書いてある通り)

 

 

 

ほんとーに今、振り返ってみれば

なんだけど

東日本大震災、そしてそこでの動物保護活動は

心が大きく変動する経験ができて

たくさんのことを変えていくキッカケになり

自分の心と向き合っていくキッカケにもなっていました

 

 

 

東日本大震災から8年目の今日。

 

やっとやっと

自分の道を歩き始めてる気がする。

 

 

心屋塾に通ったことで

自分と向き合うことの意味を知りました

 

答えはいつも自分の中にあって

それは自分でしか気づけないけど

手っ取り早く知ろうとしても見えなくて

 

自分が本当に自分と向き合う覚悟

自分の意志で自分の人生を生きる覚悟

過去と向き合う覚悟ができたときに

見えたり気づけたりするのかもしれない

 

 

長い歳月とだいぶ回り道をした感じだけど

今なら、これも必要だったの「かも」と

だんだん思えるようになりました

 

今までだったら、なんで時間かかったんだろうとか

どうして気づけなかったんだろうとか

そこがスッキリしないと次のプロセスに進めなかった

 

頭が納得しないと気持ち悪くて気持ち悪くて

素直に答えだけを受け入れられなかった

どうしてそうなるのかを追及したい、

めんどくさいやつだった

 

 


 


 

毎年、この時期になると思い出すのは

NHKで放送されたニュース


宮城県気仙沼市の中学生の卒業式の答辞です。
 

「たとえ苦境にあっても天を恨まず…」

 

当時は、震災直後でもあったので

彼のこの言葉はとても衝撃的に耳に残りました。


そして今でもこの時期になると

この答辞を思い出してしまいます。

 


動画↓

 

 

 

 

 

 

そして、それと似た言葉も思い出します

いつだったか忘れてしまったけど

震災から数年後のあるニュースのインタビューで

避難生活している仮設住宅て

当時高校生の双葉町の男の子が

原発についてどう思うか聞かれていました。


「原発は恨んでいない。自分の父親は原発で働いていて、そのおかげで僕達はここまで育ってきたからです。帰れるなら帰りたい。」


インタビューアーは、違う答えを想定してたのか、

返ってきた答えに動揺してしどろもどろになっていた。


「原発さえなければ」と言わせたかったのかな