デートに誘われてうれしかった。
俺が気にしてること、気づいてた。
暦のうえでは秋なのに暑い日がつづいた。ユウくんは上から下までゆったりしたシルエットの真っ白い服装であらわれた。わるい宗教で洗脳する人みたいだね、と言うと、それはほめすぎですよ、と、神様みたいにほほえんだ。
「ユウくん涼しそうに見えるね」
「え、暑いですよ?カズさんこそ涼しそうです」
「え、暑いよ」
どうでもいい会話。それがうれしい。
近所の商店街。テラス席のある店先で日射しとぬるい風を感じながら、昼間っからハイボールで乾杯した。細身のわりによく食べるユウくんは次々に注文し終えると、さっそく俺と智のことを聞いてくる。
「待ってましたってかんじだね?」
「もちろんです。目下のところカズさんのことで気になることは智さんのことです」
「なにそれ?俺?智?どっち?」
デートとかケンカとかカレーライスとか、それ聞いてどうすんのってことを自分のことみたいにたのしそうに。" 潤は質問が多い " って翔くんが言ってたけど、確実にユウくんの影響な気がした。
「カズさんタピオカ飲みましょう♪」
食事の終盤にユウくんがそんなことを言い出したのは、隣にそのお店があったからだと思う。てっきりユウくんが買ってくると思ったのに、スマホで誰かに連絡してる。
しばらくすると、けたたましい自転車のブレーキ音が商店街に響き渡る。街中でよく見かけるようになった黒と緑の四角いリュックを背負って、顔面滝汗のハルくんが怒りオーラをぶっ放してる。
「ユウッ!俺いま仕事中!!てゆーか隣じゃんっ!タピオカ隣にあるっっ!そこっっ!!なんで俺がパシリにされんだよ自分で行ったほーがはえーだろっっ!!」
たしかに。
「ハル、カズさんがな、どーーーしてもおまえが買ってきたタピオカが飲みたいって言ってんだ。美味いタピオカごちそうしたいだろ? な?」
言ってない。
終始半笑いのユウくんは絶妙なツンデレをハルくんに発揮する。俺のタピオカを買わせるためにわざわざ仕事中のハルくんを呼び出して、大激怒してる様をゆっくりたのしげに眺めてから、今度は自分が徒歩5秒の距離にあるタピオカ屋で「ほら、おまえの好きなヤツだぞ」ってハルくんの分を買ってきてあげるのだ。
なにが理解に苦しむかって、それでご機嫌になるハルくんだよね。途中で何度もタピオカをのどに詰まらせながら飲み干して、汗びちゃびちゃのドロドロのデロデロの格好で「じゃ、おつかれっ♪」ってさわやかに配達の仕事になぜもどっていける。アレでなにを届けるのか、デリバリー先のお客さんが気の毒になった。
食事をした店から目と鼻の先にあるバーにハシゴすると、ユウくんがきれいなオレンジ色のカクテルをすすめてくれた。「カズさんにぴったりなので♡」と言われた理由はよくわからないけど。
「俺の弟です」
財布から抜きとった写真を俺に差し出すと、腹ちがいの、と、言葉がつづいた。制服姿。末の弟を兄たちが囲むように4人兄弟が写ってる。みんな笑ってて幸せそう。過酷な幼少体験があったことなどそこからは読みとれないくらい。
自分のおかれた立場を知ると、母親たちはそれぞれに息子を手離した。施設に入るとき、兄と弟はお互いの存在をはじめて知る。兄は弟を、弟は兄を、生んでくれた母親よりもその存在を喜び、育ててくれた母親との暮らしよりも、あたたかくおだやかで求めていたものだと噛みしめた。
数年後。なんの前ぶれもなく息子たちのまえにスーツ姿の父親があらわれた。笑顔でかんじのよい印象ではあったけれど、お父さんと呼ぶにはあまりにも他人過ぎたし、再会を受け入れられるほど思い出も記憶もなかった。
「ねぇユウ、潤くんのとこ行こうよ」
その矛先が弟にだけ向けられた理由は今でもわからない。父親の来訪に「つまんない」と不満を吐露して仲良しの優しい兄を優先したからなのか。自分と生き写しの容姿をもつ上の息子に手をあげることがためらわれたからなのか。
手にしたはずの幸福な日々。
それが一転。
涙をボロボロとふきこぼす無抵抗の幼い弟。馬乗りになってその口を手で塞ぎ、半狂乱になって自身の仕事や人間関係や人生へのあらゆる罵詈雑言を、呪いを浴びせつづける父親。ヤメロ。ヤメテクレ。声にならない声でその背に覆いかぶさり羽交い締めにしながら、目の前の現実に愕然とする兄。
自分たちが、なにをしたというのか。
頻繁に訪ねてくるようになったのは『父親』ではなく『人でなし』。幼い弟にくり返されるそれは世話になっている多くの人たちを落胆させ、悲しませ、ここにいられなくなるかもしれないと兄は恐れた。痕が残るような暴力を故意に避ける父親に対して芽生えた感情。
父親から弟を守るための手段として、それ以外の選択肢は浮かばなかった。笑顔の父親を見送るたびに憔悴していく兄弟。その兄がたったひとりで、すべてを賭けて背負ったものを、潤くんには感じとることができた。
「これでおまえたちのこと守れるか?」
最後に父親が訪ねてきた日。潤くんが兄弟の部屋に仕込んだものを観て泣き崩れる兄のことを、兄にしがみついて声も出せずに震えながらそれでも慰めつづける弟のことを、潤くんは抱きしめた。真夜中になっても夜が明けても、抱きしめて離さなかった。けれど、弟の心に残されたものは消えなかった。
「……今でも許せない?」
「…そうですね、たぶんこれからも。でも、すべてを憎めるわけでもないんです」
ユウくんの言葉に、耳を疑った。
「親が俺たちのことを手離してくれたから、潤さんと出会うことができました。おかしな言い方ですけど、感謝してるんです」
こいつは勝手に付いてきちゃいました。
写真のハルくんを指さしてついでみたいに言うけど俺にはわかる。いつも気にしてて、さっきみたいに無駄に呼び出して怒らせているようで、本当は心配で弟の様子が知りたくて。それは潤くんもおなじだから。
『家族』という存在は
『血縁』を越えたはるかななにか
「カズさんの親はどうでしたか?」
「俺?俺は……ユウくんとは逆かな…」
そのことを話そうしたとき。
視線の先で、深く青いお酒が提供されていた。ふいに夢のなかの景色がよぎる。群青の砂漠。動けない自分。胸がどきどきしてのどが詰まって、今さら気づく。誰にも話したことがない。
「……俺が父さんにひどいことしたから、父さんは俺のこと許してくれないんだ、ずっと」
「…亡くなったお父さんが、ですか?」
「そう。今でも。ユウくんはどう思う?」
親をゆるせないことと
親にゆるされないこと
それって、どっちが苦しいかな?
そうですねぇ
いつものユウくんの口ぐせ。
「どちらもおなじですよ。苦しいなら」
ユウくんは俺に聞かなかった。
俺が父さんにしたひどいことを。
俺もユウくんに聞かなかった。
どうして今、アイがいないのかを。
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