朝6時。
寺の鐘で目が覚めた。



ひとりだった。体を起こして、部屋を見渡して、状況が理解できなかった。全部ゆめだったのかと思った。ゆうべ、というより、イヴの夕方からのことぜんぶ。でもストーブは点いてた。



なんで。どうして。
ゆうべのあの人の言葉がぐるぐるまわる。
ほんのこれっぽっちでも、気持ちが通じ合った。
そう感じたのは俺だけだった。




「おはよ」
「おはよう  ございます。…彼どうしました?」

「帰った」
「帰った?」

「……起きたらいなかった」
「あらら、……本は?」

「……置いてった」



あらら、もう一度くり返した。お役に立てると思ったのに、と。テーブルに突っ伏してため息をつく。予想以上に俺が傷ついて、それ以上にダメージが大きいことを察して、いつもは根掘り葉掘り聞いてくるユウの口数は少なかった。



ユウと、俺と、ハルと、アイ。
毎朝4人で食事をして、いっしょに学校へ行く。起きて自分のマンションの部屋を出て、エレベーターを降りて、隣のマンションのユウたちの部屋へ行く。エレベーターのボタンを見つめながら思った。



ひとりになって、あの人、
このエレベーターの中でなに考えたんだろ。
後悔したんだろうか。俺とのこと。



「残念。会って話したかったなぁ あの彼」
「すいませんねぇ ご期待にそえなくて」



みそをといた鍋に刻んだねぎを散らしてる。目を覚ましたアイが、枕元の包みに声をあげているのが隣の部屋から聞こえる。無理矢理起こされてるらしいハルの眠そうなうめき声も。



「アイ、おはよ。サンタさん来てたか?」


台所に立つ兄を後ろから抱きしめる弟。
弟の頭を撫でると、髪にくちづける兄。
変わらない毎朝の光景。


「おはよ、ユウ、サンタさんきた、プさん♪」
「お、プーさんよかったな、かわいいな」

「うん、プさん、かわいい♪」
「な、いいな、プーさんだな」

「うん、プさん♪」
「それだと韓国になっちゃうだろ?」


よけいややこしいって、と、
ようやく起きてきたハルが突っ込む。


「あれ、潤くんなんでいんの? おはよ。ふられちゃったわけだクリスマスに? 喫茶店の彼♡」
「うるせっ」

「連絡してみませんか? 念のため」
「聞いてない。名前も知らね」


「「えぇっっ?!」」
ふたりそろって叫ばれた。



なにも知らない。名前も、歳も。
たぶん大学生で、読書家の母親がいて、夜中に勉強してて、コーヒーよりラテが好き。いじわる。怒った顔と泣いた顔。そのくらい。



「潤くん強引過ぎたんじゃないのー? あっ、よっぽど相性合わなかったとか?」

「黙れ童貞。おまえといっしょにすんな」
「あ、言った? いま言ったね? それ言う? 大失恋で苦しんでる超かわいそうな弟に向かってさ、アニキが言う言葉なのそれ?」

「だまれどーてー♪」
「アイ、それはダメだぞ。潤さんアイがまた口ぐせになるから気をつけてくださいよ、スーパーで俺にそれ言ってくるんですからぁ」



抱きかかえたプーさんを自分の顔の前にもってくると、プーさんがぜったい言わないだろうそのセリフを声を真似て連発してる。気に入ったみたいだ。腕を引いて隣に座らせる。



「アイ、ほらこっち来い。いいか、それは外で言っちゃダメだからな? みんなびっくりするぞ? 俺とユウにも言うなよ、童貞じゃないからな? それを言っていい相手はハルだけだ、わかったか?」
「うん、わかった」

「ひっで、クリスマスだけど家出していい俺?」
「だまれどーてー♪」


背後にまわって羽交い締めにして、
アイからプーさんを強奪しようとするハル。
菜箸でユウに叩かれて、あっちっ と叫んでる。



「また会えますよ」



" 潤さんの彼 " のために用意していたというホールケーキ。貰い手がいないからとさみしそうにそれを切り分けて、コーヒーをすすりながらユウは言った。


「んな都合よく会えたら苦労しねーよ」
「二度あったんですよ? 三度目もありますよ」



ご機嫌でケーキを頬張るアイとハルの笑顔。
細い目をもっと細めて、頬杖をついて、
やわらかな表情で眺めてる。



弟たちの幸福。それがこの男の幸福。
その幸福を守るためなら、
この男はどんなことでもする。
どんなことでも。




「ユウ」
「はい」

「懺悔する」


学校までの一本道。積もったばかりの雪をふみしめながら声をかけた。笑って、あいかわらずやさしい目で俺を見る。似てると思った。静かに舞う雪に。


「はい。   どうぞ」


まっすぐ前を見た。
雪を投げあってハルとアイがじゃれてる。
お揃いの、色ちがいのマフラー。


「誓って言う。そんなつもりなかった」
「はい」


「帰ったら寝てた。起こさなきゃこのままいっしょに寝れると思った。そのときは本当に、……本当にそれだけで充分だった」
「はい」


深呼吸。


「はじめてだったんだ、あの人。女とつきあってるのずっと違和感あったって泣かれた。目の前で。苦しいって……。どうしていいかわかんなくて、じゃあ俺で試せばいいって、あの人に言った」
「はい」


「弱味につけこんだ……、最低だ俺」
「…さぁ、それはどうでしょ。そんなプライベートなこと誰にでも話せる内容じゃないです。心を開いてくれたんですよ、潤さんに」



『ためす』



俺の腕の中で抵抗をやめると、彼はひと言そう口にした。強い意思を秘めた、濡れた大きな瞳で。言い出したのは自分なのに、なにをどうしたらいいか、少しだけためらった。



両手で頬を包む。はじめて、そのくちびるに。
ふれるだけのものを二度した。三度目は角度を変えながら長く重ねていると、ふいに、彼のくちびるにすき間ができた。お互いの舌先がふれたとき、同時に吐息をこぼした。



行為のあいだ幾度か、先に進むかを確認した。
…大丈夫? ヤならやめるよ?
そのたびに首を横にふった。




そのとき、
彼の苦しみの本当の深さを知った。



はじめての恐怖より、羞恥より、肉体の苦痛より、自分の奥底で煮えたぎる違和感がそれを凌駕した。おまえみたいな奴にわからない。そう言った彼の言葉が理解できた。自身の性に対する耐えがたい混乱。俺には経験のないことだった。



ボロボロと涙を流してた。きつく目を閉じてくちびるを噛んでた。苦痛と快楽の声をおし殺して俺の下でもだえる表情に、乗り越えようとする強さに、胸を打たれつづけた。



まぶたにくちづけた。何度も。
可愛くて、愛しくて愛しくて、仕方がなかった。



行為のあと、動けないと言う彼を抱きあげて浴室に連れていった。恥ずかしがってはいたけど、なにも言わずに俺の首にしがみついてくれた。シャワーの音にまぎれて、かすかな声を耳元で聞いた。



  ……ありがと…



それがなにに対する言葉なのかわからないまま、ベッドへ横たえてからも甘えてくれた気がしてた。ふれて、抱きしめて、キスして。そうすることをゆるしてくれたんだって、思ったのに。



なんで。
なんでいなくなるんだよ。



「どんなに想いあっても叶わない人たちだっているんです。ハルとナツさんみたいに。潤さんと彼はそうじゃなかった。ちゃんと意味があったんです。はじめてが潤さんで彼は救われたと思いますよ」



意味。俺には大きな意味があった。
好きな人を抱いた。もっと好きになった。
でも彼にとって、どんな意味があったのか。
なにかの救いになったのか。



不安そうにしてた。戸惑って、怖がってた。
手が震えていたのもわかった。
俺の手だって震えた。
ずっと泣きながら、それでも、
勇気を出して俺のことを受けとめてくれた。



神様がチャンスをくれたと思った。
まちがった選択だったなんて、
どうしても思えない。
思いたくない。




それを確かめたい。
もう一度だけ、会いたい。



















    「智が好き」





たったひと言。それだけ。
それで俺のはじめての片想いはあっけなく、
あっという間に終わってしまった。







*****