こんにちは
野菜が高くて
冷凍野菜の購入を検討しています
今日は
私が認められていたことを
気付けなかったという話です
私は学生時代にボランティアで
お年寄りの話し相手に
施設に通っていました
同じ曜日にいつも通ってくるおばさんが
2人ほどいて
約2年ほど続けていました
卒業の頃に
そこでのボランティアも
終わりにすることにして
終わりの日を迎えました
その日の昼食の時に
いつも一緒の曜日に来ていたおばさんが
私に花束をくれました
私は何と言うのか分からない気持ちで
お礼だけ言って
その日を終えました
後でもう1人のおばさんも
お金出させて欲しいと言われて貰ったからね
そう教えて頂き
もう1人のおばさんにもお礼を言いました
私はその時に
嬉しいとか感動するという様な気持ちが
生まれなかったです
それは
毒親達が慣習として
お歳暮やお祝いをもらったらお返しをするとか
そういう無感情に
貰ったらお返しする
この時期には贈り物をする
そんな送り合う事は儀礼みたいな思考に
私も染まっていたのだと思います
長く活動していたから
何か贈られるということに
特別な感情がある事という事が
分からなかったです
でも最近になって思うのは
あのおばさん達が
私の事を
私の活動を
評価してくれて
それで頑張っているなと
とても褒めてくれていたのだと
そういう気持ちを持って
あの花束を送ってくれたのだと言うことを
今頃になって
とても感謝したいと思うし
大したことしたわけでも無いのにと
自分の事を自分でも評価してなかったことに
今は気づく事が出来ました
毒親にとっては
ボランティアなど
一円の稼ぎもなく
何の役にも立たない事で
そんな事に時間かけるなんて
意味がなかったのだと思います
私が持ち帰った花束に
何の興味も示さず
花束を飾っても
邪魔にされた位です
毒親には心がないので
あの花束に込められた気持ちは
分からないのです
そして当時の私も
分かりませんでした
分からなくてされていました
でも今
もうあれから20年以上経って今
やっと私はその気持ちに気付けました
もうあのおばさん達は
多分相当な歳か
もう亡くなっている様な歳の頃の方々です
もう感謝の気持ちを伝える事は出来ないけど
遠い空に向かって
ありがとうございます
そう心の中で叫びました
私の事を見て
偉いねって褒めてくれた
数少ない人です
私はあの頃から
私らしい生き方である筈の
人の役に立ちたい
笑顔になって欲しい
そういう生き方をしていきたいと思います
ボランティアで活動することは
私らしかったのだと思います
毒親が奪ってた
私らしさだけど
もう邪魔はさせません
これからもその道を続け
もっともっと自分らしく生きていく事を
貫いていきたいと思います