本っ当に久しぶりにUROBOROSを聴いた。
京の英語には賛否あるみたいだけど私は英語Ver.のDOZING GREENが結構好きだったりする。
詩を邦訳するのは語学力だけじゃ多分出来ないだろうと思う。去年読んだフランス詩の訳はとても素晴らしいと思ったけれどボードレールやマラルメが表現したかったことを自分がどれだけ理解できてるのかは実際のところ判らないし、その後に読んだインドの詩も物凄い日本人好みに翻訳されてて…。日本語に訳されてなきゃ私には読めないのだけど、正直なトコ…理解できてると思わないんだよね。フランスにしろインドにしろ、その他の国のものでも、色んなものが違いすぎる。邦訳された日本語を理解したところでその歴史や風土で育まれるものまではどうしたって分からないし分かれない。
GLASS SKINもDOZING GREENも、例え京が自分で英詩を書いたとして私に英語力があったとしても、それは多分本当のところは理解できない。まあ…GLASS SKINの英語詩もそれなりに好きだったりするけど。でも英語という時点で自力で訳して読むしかなくて私には英語力・読解力は無い。
もっと言うと、私は翻訳する人が挟まったらそれはもうほぼ別作品だと覚悟してる。
この辺りまでは去年も似たようなこと書いた(笑)
まあ…だから…音楽として好きなんだろうと思う。DOZING GREENの英語Ver.が。そこらへんはこないだ書いた宮沢賢治に関するメモで書いたことなのかとも思ってみたりしてる。自分でもよく解らないけど。言葉の意味ではない部分が…好きなのかな?やっぱり解らん(笑)
 
と、以上これは実は昨日書いて消した日記です。
そして以下今日書いてるものです。
 
丁度一ヶ月ほど前に書いた話、且つ、非公開日記のことで申し訳ないのですが。
でもまあ具体的に言うとファウストの訳の話になります。
最初は何で蛆虫指定かと思ってたけど、訳としては蛆虫が正しいのかなと思い始めている今日この頃。塵芥の中の虫けらでも意味は通りそうだけど…多分ニュアンスとしては蛆虫が正しい気がする。そしてニュアンスの話で言うなら多分、塵芥や塵ではないんじゃないかと思う。
こういうところが文化の違いなんだろうなと思う。
例えば日本語でゴミといってもそれぞれ人の受け取り方は様々で…。ゴミの日と書けば生ゴミや燃やすゴミを連想する人も多いし、学校のゴミ箱といえば紙ゴミを思い浮かべる人もいるでしょ?そういうニュアンス的なことって文化が違うと全然違うと思うんだよね。こういう時、原語がよめればなあ…って本気で思う。
ちなみに今私が言ってる蛆虫の件はファウストの頭のほうです。どんな訳になってるのか具体的に書くと著作権に触れるので…。
代わりといっては何ですが、その部分をエキサイトで独→日破壊してみたものがこちらになります。
↓ ↓ ↓ ↓
彼/それが彼自身(ステップが破壊して、埋めるWandrersのもの)でちりで栄養価が高く生きて、虫の様に、私はちり(それ)をとても略奪します。
 
…全く意味がわからんね。あ、いや。読んだ人は解るか。
 
この延長の話なのですが。
最近DIRの歌詩ちゃんと表記されてますよね?何故なんでしょうか?一時、詩があってもほとんど読めない状態とか隠されてるとかありましたよね?THE MARROW OF A BONEのときはコレ入れる意味あるの?って言いたくなる状態にまでなってましたし。やっぱり苦情なり何なりきたんでしょうか?それとも…不良品とかの問い合わせとか(笑)
まあ、あっても殆ど読まない私みたいなのもいますが。DOZING GREENなんて二回しか歌詩読んだこと無い…。ある意味酷い。だから英語かと思いきや実は日本語だったなんてことも起こり得るわけです。…笑えない。
正直…読むなといわんばかりにされてるものを無理に読もうとは、私は思わないです。そこに何とかして読めという意図があったとしても…多分しない。面倒だ。愛情が足りないといわれそうですね(笑)
 
そしてまた、こないだの宮沢賢治の話に戻るのですが…。
それこそ言葉以前の感情の発露、なのかと思っています。文字にする以前に伝えるということ。もっと具体的に言えればいいのですが…。数行前に私が書いた「読んだ人は~」の下りを「あ、いや。」以前で伝えられるかどうかの力量、という事だと書けば…余計ややこしいか(笑)演技に譬えれば「…」をどう表現するかということになるでしょうか?
ただDIRの場合は詩人や作家ではないので…文字ではなく音や声ということになりますね。コレを前提として考えると、歌詩がきちんと表記されて無いなら読む必要ないな、と。その裏に何とかして読めという意図があっても。読んでほしいのに読み辛くしてるとかそれじゃただのツンデレですし。ま、それでも構わないですが。
そもそも当時、歌詩の表記に関しては京が散々インタビューされてましたしね。それを真に受けるかどうかもその人それぞれなのでしょうが。音楽という性質上歌詩を読む必要は無いというのは、まあ解らないでもないです。
…そうじゃなかった。
だから最近歌詩がちゃんと読めるように表記されてるということに意味はあるのかな?ということです。
長々書きましたがそれだけです。
 
違います。