ものすごくナーバス。些細なことで心はささくれていつも以上に内側で血を巡らせる。胸がいつも以上の強さで脈を打つ。息苦しい。別のことを考えよう。
アルバム聴いとりますよ。今週末土日が近づいてきた。近づいて来たけれど情報は自分で探さないと物販列の時間ですら連絡は来ない、そんなオフィシャルに相変わらずウンザリで。X上にも先行で買った物販はどこで引き取るの?っていう人は私以外にもいる。これに関してはまだ見つけらない情報。恐らく通常の物販列に並ぶのでは?と思ってはいる。
今回は10:30から。ねえ、地方ファンがこの時間に到着するように便取ってなかったらどうするつもりなの?と思いながら眺めて溜息をつく。
発券でのチケではもう席番付いてて公式で買った私はまだ未確定。物販整理券もまだ未確定。どうしていいのか解らない。ただでさえ土地勘ないからどれぐらい東京駅から時間がかかるか予想できない。18日の物販は既にもういいやとすら思い始めてる。
もうホントどうでもいい。
今日一日考えてた事がある。今回のアルバム潔すぎだなって。音楽として技術として滑稽だと言っている人がいたとこの前書いたけれど、私としては印象を受け取りそれに何かを感じている自分自身、その両方がとても滑稽に思いはする。
人は本当に苦しい時他人の事など頭に無いとおもう。すくなくとも私自身はそうで「何故私だけ?」何て思う余裕なんて無い。これはもう幼い頃から今現在の実感として、実体験としての話。
一昨日かその前日か。
どんなに貴方のせいではないと伝えても、不安だと言うから何度思いを伝えても、相手が「いや、そうじゃない」と言い張るのならそれは最早私達の間の事でなくあなたの問題でしかない。そんな話をした。わたしが違うと言っても変わらないならそれは相手の認識の問題。こういう場合その認識を変えることができるのは当人だけなのだから。わたしにはどえしようもないし強制することもできないし、しない。
どう思う?と聞かれても私は知らないとしか返事はできないだろうし、こんな事に意味は無いと思いながら話をすると思う。互いにできるのは自分がどう思っているのかではなくて、今目の前の事に対して何ができるのかという話だけなんじゃないだろうか。それで解決できるのか?と聞かれれば私の答えは「分からない」。
思いは今も変わらず。それは私の嘘偽りない心。
だが信用しないのならわたしにはどうしようもない。そう思っていていいよ。それはあなたの自由なのだからそうやって自分を責めて納得できるのなら、私の人生の全てが自分のせいだと言うのなら自由にしてくれて構わない。ただ私は違うのだと思いながら、それでも受け入れるだけ。受け入れるよ、頷くだけ。
上手く言えない。
ただ寝るために横になる時、部屋に戻り明かりをつける時、そんな些細なほんの一瞬迷うほどにわたしは揺れる。それでも人生の最大の分岐点なんてきっと産まれ落ちた瞬間なんだよ。
私だけの話で言うならどんな現状があろうと、この先何があろうと、私はただ立ち上がり這ってでも進むために足掻くよ。根性論みたいだけれどさ。努力、努力、そして努力。支えてもらいながらもここまで来た。
あなたのせいじゃない、病気のせいなのだから謝らなくていい。そう言われても納得できない、これは私の認識の問題なんだよ。そう思えるなら何もかもが解決する。そしてさっき書いたように相手が同じように納得するのならその人の問題は解決するんだろう。
そうでなければお互い分かり合うことはできないのかな。そう思うとどうしようもなく滑稽なんだよ。私は優しくないから欲しい言葉なんて言えない。その言葉が本当の本当の本気で私の心の底からの本音であってもさ。簡単に言えないよ。太宰が言っていた愛しているのに愛していると言わないのは傲慢だってのと同じなのかな笑
愛情と憎しみと何もかもが綯い交ぜになって独白を続けるように、相手を売り飛ばすことで銀貨と自身の憎むほどの愛を証明するように。それが相手を破滅に追い込むような行為だとしても。
信仰を証明するなんて馬鹿げた話だと思うけれど。
半々、わたしにはリアル。