さっきから胸に軽い痛みのある違和感があって血圧について検索しようとしてたところ、
RADWIMPSの曲に「狭心症」というものがあり、それをMrs. GREEN APPLEがカバーした
というお話を見つけてしまいまして。
先に謝っておきます。ごめんなさい歌詞は見たけれど曲聴いてないです。PVが炎上したとかナントカで、それもまだ観ていません。書いた後に聴いて、観ようと思ってしまったので。そこは楽しみとして取っておきます。おかせてください。
そして論文か?みたいに長くなるので読まないことを推奨しておきます。読むなら最初の方と最後の方だけで…。
怒りを買いそうな気もするけれど。
まずこれかな。
最初に見つけてしまった時には何かチクッとしたというかキュッてなった。これは本当に正直な感想。まあまあ同じ病気持ってたらちょっと心痛むタイトルです。でもそれは全然どうでも良くて。そんなん気にしてたら世の中文句つけない事ばかりでキリなくなる。そんな無粋で退屈なことはしてはいけないと、私個人の意見です。命が危ぶまれる他の方が沢山いるのは知っているので、これはもう本当に一個人としてです。ファン方々は分ってくださってると思うので心配はしてません。
RADWIMPSさんの曲、前前前世すらまともに聞いたことなく、野田さんの見た目を知ってるレベルにしか認識無くて。でも歌詞読んでだいたい何となくのイメージができるというか何というか。
でも次に思ったのがMrs. GREEN APPLEがcover…?です。何だろう、突然あの可愛い雰囲気の笑顔なのに猟奇的というか狂気的というか違うイメージが思い浮かんでしまった。ミセスのファンの方にもごめんなさい案件だ。
でも、雰囲気全く変わりそう。
歌詞の感想はうっすらとした印象でしか書けないけれど、今の率直な自分の気持ちを書いておきたい。
世の中沢山の人がいて、同じ瞬間に全員が幸せ、悲しみ、苦しみ、痛み、それらを感じてるわけじゃないですよね。さっきこの曲を見つけた時に複雑な気分になったのと同じで、同じ3文字を見ても感じるきもちは皆決して同じでなくて。一口に幸せと言ってもそれすら同じ体験をして同じように感じるのかは別。
みんなという言葉はあれどその「みんな」は一個人の集合体。自分もその中の一個人として含まれてる。そんな人達の感情や状況。別々なんですよね。
TVでも色んなこと流れてきますよね。ネットもあるこの時代。溢れすぎて選択して見なきゃ処理も追いつかないほど。
昔、2つのニュースを見て泣いたことがあります。
いつまでたっても忘れられない感情。
ひとつは新聞にひっそり載っていた4人家族の一戸建てで起きた火災の記事。1階で寝ていた父親の寝煙草が原因。母親は子ども達を起こしに2階にへと。そうして母子3人が亡くなった。父親は庭にあるホースで必死で水をかけていた。
そのホースは4人で過ごした家や庭での思い出。楽しい記憶を含んでいて。それが悲しい思い出に変わった瞬間のニュース。4人の気持ちを思うとどうしようもなく辛くて。そしてその中でこれからも自分を責めながら生きなければならない父親。
私は子どもの頃に実父から逃げて、今生きてる。だからこそ余計に辛くて。書きながら泣いてる私はアホ。
そしてもうひとつが革命が起きてカダフィ氏が亡くなったというニュース。
公園で若者が上げた、たった1つのシュプレヒコール。それがその場所の人に広がりそして国中へと広がり革命へ。そうして起きた歴史のひとつ。
町の道端。そこに晒されている亡くなっでも尚まだ暴行を加えられ石を投げられている。カダフィ氏のその姿。
ある人には悪人であり、ある人には善人。またある人には家族であり友人である。
その時一瞬で考えた事が、私もその1人になるかもしれない「人間」という生き物だという事。誰もが氏本人にならなくとも、誰かにとって同じような存在になり得る可能性。そしてまたシュプレヒコールをあげる一人、それに加わる一人になり得るという世界。それがどうしようもなく悲しくて恐ろしかった。
私個人が誰かに、ましてや世界に影響を持つような人間ではないけれど、でも誰かにとって何れかの存在であることは間違いない事実なんですよね。それは「みんな」同じだと思っていたい。
現実って過去も未来も含めて優しくて残酷で、未来なんて人を馬鹿みたいに不安にさせるどころか心折ってこようとする。そして過去もどうしようもない優しさがありいつまでも消えない痛みを刻んでいるもの。
誰かがそうであるということ。今それを遠くから知っていても背を押してあげることもできず、痛みから掬い上げることもしてあげられない。そばにいる人に対してでさえ、分かち合う事や一緒に歩いていくことはできたとしても、その人生までは代わってあげられない。
前向きなことも書いておこう。
阪神・淡路大震災を経験してる自分。
人って目の前で苦しんでる人がいたら手を差し出さずにいられない、そんな人達が大半だと信じたい私です。もちろん玄関先に置いてた食料が少し目を離した隙に無くなってるなんてこともあったりするのですけど。そんな経験の中、近くで起きた福知山線脱線事故。あのマンションに弟の友人が住んでたり、祖母の友人のお孫さんがいたり、亡くなった方の中に妹の幼なじみのお母様がいたり。家の前は緊急車両が通る道。怪我人を載せたトラックや車がたくさん走ってました。レスキューが到着する前に既に救出しようと動いてたんですよね。知ってる工場の名前がたくさん…。
苦しんでる人は助ける。当たり前に動くこと。
明日は確実に来るなんて限らない。当たり前の日常なんて簡単に潰される。でもそこから支え合い立ち上がることもできる。
それも人間の一面。
そんな私にとっての身近な例も含まれてる、たくさんのことが書かれてるなというのが感想です。今のところ。
ただ私としては見ないように、聞こえないようにしたくないなとも。誰かの目や耳を現実から塞いでしまうことはできるけれど、それは決して優しさではないと思うのです。当然苦労は背負ってでもしろなんて嘘です。しなくていい苦労なんてしない方がいいに決まってます。でもそれとこれとは状況で変わるんですよね。
昔からある誰が言い出したのかもわからない
「やらぬ善よりやる偽善」
多分だけど徳を積むことを目的にした行いは本当に善なのか?善に似せたもので徳積めるのか?というとこからきてそう…。それか天国行く為に良いことをしろは本当に正しい行いといえるのかとか。天国行極楽行きの切符買ってるんじゃないの?みたいな
最初に書いたように病気持ってて障害持ってます。施設で働いたり作業して生きてきてます。そうして知ったことの1つが「やらない善 」が存在すること。A型で働いていて杖をついてないと歩けない方は結構います。その人のために道具や資材を運んであげることは良いことかといえばそうではない。できる事を奪うのは差別と同じようなものだと思っていただけるとわかるかと。
本当に「みんな」って自分以外に沢山いるんですよね。それぞれが色んな痛みを抱えてる。長々取り留めもなく書いてきましたけど、この「狭心症」というタイトルはこの歌詞に相応しいのかな、と。
さてここで1つの豆知識。
狭心症って胸が痛くなると思ってる方、違いますよー。
胸が痛くなるのは最初の数秒か一瞬。ガッとかギュッとかそんなの通り越した握り潰されるような痛さがそこから首を伝って顎から歯の先まで、喉を伝って後頭部へ。私は上顎まで行くかな。とんでもない痛さです。もう歯のどこに神経が走ってるのかがわかる感じ。横になってれば5分、長くて15分。私はニトロペン舌下錠持ちなので3錠使ってダメなら救急車。これで軽い方です。
でも比較的楽な人生でも、その中で感じる痛みまるっと集めて凝縮させたらこんな感じじゃない?と私は思ってしまったのですよ。だってそれで命を落とすような痛みが人生にある人なんてたくさんいる。まあ実際わたしがそう生きてきてます。生きるために都合の悪い記憶を脳が蓋をしてくれてるおかげでここでこれ書いてます。それはそれで人生の一部の土台が無いのでグラグラのジェンガ状態なんですが。
というわけで聴かず観ずで書きました。
私はDIR EN GREY虜で痛みをテーマにしてるバンド追ってきてるしsukekiyo様拝み始めてるので、タイトル見て歌詞読んで興味をガッツリ惹かれました。
さあさあ!!
ここからが私にとって本番なのだ!!
これからガッツリ楽しませていただきますのですよ。
RADWIMPSもMrs. GREEN APPLEも!!!!
うふふふ。
今回の書いてる間のBGMはコチラ
これの2つ前の映画の話の最後に書いた曲
とんでもないタイミングでかかる皮肉