母が今年1月4日に永眠しました。
実は私、少し前から
仏さま、ご先祖さまに
【 1月4日にお母さんを迎えに来て 】
そう言っていたんです。
母は末期の肝細胞癌で、
かなりの痛みを訴えていて
それを抑える為に
強い痛み止めを使い始め
一気に痴呆が進み
幻覚を見るようになり
施設にお世話になる数日前には
1日中、大きな声で
誰かと会話しながら
家中を歩き回ったり
いろんなところを開けて回ったり
時には家の外に出てしまう事も💦
それが発覚してからは
1人の時間を作らない方がいいですね
看護士さんにそう言われ・・・
色々な安全面を考えると
決して1人にできない
そういう状態でした。
施設に入る1日前には
私のことも分からなくなり
「すみませんね、
もう帰って頂いてもいいですよ」
と言われ💦
私は一晩中、母に会話を合わせながら
寝ずに母と行動を共しました。
翌日が仕事納めで
それまでほとんど、
まともに寝ていなかったので
29日と30日2日間だけ
私の休息をいただく為に
施設にお泊まりしてもらって
大晦日から、お正月休みいっぱいまで
24時体制で、全力で母をみる
そう覚悟を決めていました。
ですが、お泊まりしている間に
母は徐々に起きられなくなり
食べる事も、水分を摂る事も
ままならない状態になり
母は家に帰る事なく、そのまま
施設で診ていただく事になりました
直ぐに妹や子供達みんなに連絡し
それぞれに日程を調節して
駆けつけてくれる事になりました。
施設に毎日通う度に
弱っていく母の様子や
辛そうな表現を見るのが辛くて・・・
子供達が駆けつけてくれる日も決まり
いつしか私は、
毎日ご先祖さまを拝む度に、
私がずっとそばにいる間に
妹や娘達がそばにいる間にどうか、
1月4日にお母さんを迎えに来て
そう言っていたのです。
3日の日には娘が孫を連れて
そして息子も駆けつけてくれて
皆んな直接母にお別れができました。
そして、翌日4日の早朝
施設から母危篤との連絡があり
直ぐに母の元へ駆けつけました。
まだ暖かくて、ですが息はしておらず
その後、看護士さん、
そしてお医者から
死亡確認を告げられました。
悲しかったけれど
私が望んだ通り、本当に
1月4日にお迎えに来てくれたので
そのお陰で、家族みんなで
最高のお別れと
葬儀を執り行うことができました。
母にも仏様、ご先祖様たちに
感謝の気持でいっぱいです。