自分と向き合っていくうちに、
思い込みとかに気づきます。
それは昔誰かに言われた言葉。
「真面目にやりなさい」ということ。
夏休みに宿題やテスト勉強も、
ギリギリまでやらない人でした。
何とかなるからそれで良しと考え、
追い立てられるまで動かないのが私でした。
何が良くて何が悪いことなのか?
お手本となっていたのは親の態度だけ。
側から見たら不真面目な態度で、
挫折して追い詰められました。
真面目にやりなさいという言葉を頼りに「親のようにならない」と生きてました。
「親のようにならない」というと、
親の呪縛から逃がれられません。
相手のことは相手次第だと思っても、
何でも真面目にやらなければならないと我慢ばかりしていました。
それは親を意識しているからです。
自分のペースでなく相手に合わせて、
昔から親の態度に合わせていたように何でも我慢して忍耐すべきだと思うのです。
我慢して相手に合わせていれば、
メリットは一時的にありました。
相手に合わせてばかりいると、
自分がどうしたいか分からなくなります。
私は自分らしく楽しく生きたいから手に持ったものを手放す決心します。
自分と相手の関係を見直して、
例え自分が影響を及ぼすとしても、
相手を巻き込みたくないと思っても、
相手は相手の判断で巻き込まれるか、否かを決めていくのです。
私はそのままでいいのです。
相手がいても自由でいられるし、
自分も相手も尊重した関係は作れます。
そう考えると思い込みが消えて、
頑なに自分の陣地を守り、
砦を築いて相手を寄せつけなかった心を、オープンにしてもいいかなと思いました。
心地よく境界線を持ちながら、
相手といる感じを想像します。
相手を巻き込んでもいいし、
自分は自由でいたいと思う感じを持ってもいい。
自分が恐れてることなんか起こらないし、
一人で耐えようとか、頑張ろうとかエゴでしかないと思います。
頼りになる人に頼って、
恐れにきちんと向き合います。
自分の直感を信じます。