私たち生きている人間は、この地球上で肉体を持って生活している時は、

自分の本体である、魂・霊とある種の切り離し状態であるために

物事の本質が見えず、
何故それが起きているのか分からず、

また、実際は神様やご先祖がすぐそばで
見守り、一緒に同じ体験をしてくださっていることに気づかず

一人ぼっちで、その巨大な難題と向き合っていると錯覚しています。

 



・何か自分の身に起きた時、
・または愛する家族に何か起きた時


それが良いことであれ、悪いことであれ

偶然に突発的にそれが起きたと勘違いします。

ですので、その偶然の出来事に対しては
自分自身ではどうすることもできない事・・・

そう思いますので、

何とかしてその苦しみの経験を回避したくて

・お金を払って、能力あると自慢する人に頼ったり
・神社仏閣に行って、神さま・仏様に頼み込んだり


そのような全てを他人任せにする傾向があります。

 



それも、肉体を持って生きている以上
感情に支配され、

更には、霊的な本質が見えないですから仕方のないことかもしれません。

ですが、そのような時代も変わろうとしています。

黄泉の国、神々の国の霊的な本質から離れ、
数千年の時を経て地球の物質文明は高度に発展してきましたが、

時は移り、
人々の精神(心)が一番大切なこと

 



そう世の中の多くの人々が認識する世界に変わろうとしています。

このように人間の魂・霊・心が最重要となる世界では、

今まで隠されてきた霊的な真実も徐々に明らかにされ、

それを伝える人々が、今あちこちに現れ始めました。

それらは私たちと同じく、平凡に見える市民の中から現れています。



隠されてきた霊的な真実とは・・・


私たちが心に描くこと
この世界に現実として現れてくるということです。


私たちの心の中に
今身の回りで現れている現象と本質を同じくする があるということです。

また私たちの本体(魂)が望んだものしか現実化しません。

 



ですからこの世では一見、
・可愛そう
・苦しそう
・つらそう


に見える現実も、それを経験している魂・心(人)にとっては、
必要な経験であり、

その経験を積むことで学び、魂の向上を図り、神さまへの道を歩んでいます。
それぞれの人のペースで歩んでいます。

その経験によって
魂は決して傷つきませんし、悲しんでもいません。

 



順調に計画したとおり、人間として生まれて来た目的・経験を積んでいるな・・と思うだけです。

ですが、身近な周りにいる私達も感情がありますから
同じように悲しみ・苦しみ・涙を一緒に経験します。

それさえも計画してきた通りです。



霊的な真実から見れば、

そのような時、心配するのは当たり前のことですが、

・自分の感情に溺れることなく
・心配するあまり、相手の言動を縛ることなく


ただ側で見守り、その方の「生まれて来た目的」が成就(叶う)ことを祈ることだけです。

ありのままの状態や姿を受け入れ
愛の心を注ぐだけです。

心の中にある種が、自分の現実に現れてくるという真実からすれば、

私たちは、今までの地球のルールのように
偶然に物事が降りかかってくるのだから、他人に依存するしかない・・

という心から、、

これからは
自分自身の心の中から、自ら積極的に


・不純な物
・愛ではない物


を少しづつ除去していき、
気づいた時に、一つ一つ改めていくこと。

 



そして心に

・醜いもの
・汚いもの
・心を貶める者
・嫉妬、ねたみを煽るもの
・欲望を煽るもの
・射幸心をあおるもの


などを近づけないこと。

今は情報過多の時代ですから、

テレビやインターネットを通じ
私たちの心は、「苦しみの種」になるものにさらされ続けています。

 



出来れば、
・真実であるもの
・善きもの
・美しいもの

に多く触れていたいものです。

そうすることで、美しいもの(真善美)が、
醜いものを少しづつ駆逐し、

だんだんと、心が洗い清められ、

その結果、心を反映した現実が目の前に広がっていきます。

 

それも、自らの意志と、決断、行動によってです。

 

 

自らの足で大地に立つことです。


まさに、
他人依存の世界から、
自らの意志と行動で、幸せになる時代が来ようとしています。

是非、日々の暮らしの中で取り入れてみてください。

愛と感謝の心には
愛と感謝の世界、そして肉体亡き後も、同じ世界に向かうことでしょう。

 




※画像の一部はネットからお借りしました。