毎年この季節に掲載している記事をご紹介します。

 

7月に入ると七夕。

今日は

子供たちの美しい心のお話です。



美しいものを見たり、聞いたり、触れたりした時に、

私達の心のどこかで共鳴が起こります。


そして同じように、醜いものを見たり、聞いたり、

考えたりと 心に入れてしまうと、その逆もあります。

人間の心は

 

何処までも、高みに登る事も出来れば、

何処までも、闇に沈むこともできます。

出来れば、私達の心の波長を

 

真善美に合わせておきたいものですね。

 

 

それが、一番自然であり、

苦しまなくて済みます。

 

幸せになる一番の近道だからです。。


でも、落ち込んでも大丈夫です。

 

それも結局は、予定調和に至る道ですから・・

 

私たちの内に居らっしゃる神様は、

 

決して見捨てたりしません。

 

何時も傍らにおられます。



さて、始めます

知的障害の兄を持つ

小学1年生の男子児童のお話。

入学式の日、その児童の席のとなりに、

 

小児麻痺で左腕が不自由な同級生の男子児童が座りました。


最初の体育のときでした。

 

手が不自由な小児麻痺の児童は、

 

着替えるのに

30分もかかってしまいました。



時間がかかっても、先生は、

何も言わずこの子を放っておくことにしました。


でも、二度目の体育の時間には、

 

この子も他の子といっしょに

きちんと並んで待っていました。

 

「どうしてだろう?」不思議に思った先生は、

 

次の体育の前の休み時間に、

 

そっと教室の外から見ていました。



すると、隣の児童が、

 

一生懸命に手の不自由な子が

着替えるのを手伝ってあげていたのです。


そして、その子が着替え終わると、

二人で校庭に元気よく駆け出していったのです。

先生は、やはり何も言わずに見守ることにしました。

 

七夕の日のことです。

 

ちょうど授業参観日でした。



先生は子どもたちに願い事を書かせて、

 

それを教室の笹に下げておきました。

お母さんたちが集まったところで、

 

先生は、一枚一枚、短冊を読んできました。

一年生ですから、

 

「あのおもちゃかってちょうだい」

 

「おこずかいちょうだい」

 

「まんが本がほしい」

 

というようなことが書いてありました。

 

 

その中に一枚だけ、こう書かれていました。

「かみさま、

ぼくのとなりの子のうでを

なおしてあげてください」

あの世話をしていた、

児童が書いたものでした。

 

先生は、この一途な祈りを読むともう我慢できなくなって、

 

あの体育の時間のことを、

 

お母さんたちに話しました。

 



小児麻痺の子のお母さんは、

 

「子どもがどんなに教室で、不自由しているのだろう」

「迷惑をかけているのだろう」

 

「申し訳ないことをしてしまった」

 

と悩みながらと教室に入れずに

 

廊下からじっと様子を見ていました。

 

 

が、先生の話を聞いたとき、

 

突然、廊下から飛び込んできました。

教室に入るなり、

 

ぺったりを床に座り、

 

この児童の首にしがみついて絶叫しました。

「坊や、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。ありがとう、ありがとう、ありがとう。・・・・」

 

その声が

 

いつまでも教室に響き渡ったそうです。


天の川



人を思いやる気持ちって、

 

本当に美しいですね。

 

 

 



※画像はネットからお借りしました。