今日は仏陀(釈尊)の弟子のなかで、一番頭が悪く、愚かだといわれていた、
周利槃特(しゅりはんどく、チューダ・パンタカ)という人のお話をします。

 

私たちは、日々の生活の中で

 

・何かと自慢し、マウンティングを取ろうとしたり

・陰で人の悪口を言い、相対的に自分は優れた者と認められたいと思ったり

・他人の話にすぐ口をはさみ、「自分は、自分は」と認められたがったり

・凄い人と知り合いだと自慢したり

・人の幸せを喜ばず、陰で足を引っ張ろうとしたり

 

無意識のうち、強い自我に

心に闇を広げる者もいます。

 

 

私たちだれもが、心のクセや条件反射で

同じような悪魔の意識に支配される時もあります。

 

生きている間は肉体に付随する感情や生存本能があるため

どんな聖人君子であっても、それは免れないことかもしれません。

 

ですが、ふと、そのことに気づいた時、

直ぐに方向転換をしないと、ビッシリと罪穢れに覆われてしまいます。

 

それでは、一番愚かな弟子だったチューダ・パンタカのお話です。

 

掃除で悟りを開いた仏陀の弟子 周利槃特(しゅりはんどく)

<引用開始> 引用元

仏陀(釈尊)の弟子のなかで、一番頭が悪く、愚かだといわれていたのが、
この周利槃特(しゅりはんどく、チューダ・パンタカ)という人です。

どのくらい愚かだったかというと、
ときどき自分の名前すら忘れてしまうほど、頭が悪かったそうです。

周りの弟子達からバカにされていた周利槃特は、あまりの自分の
愚かさを嘆いて、仏弟子をやめようと思って仏陀のもとを訪れます。

「仏陀よ、私はあまりに愚かなので、もうここにはいられません・・・」

 



その時、仏陀が彼にこう言います・・・

「自分を愚かだと知っている者は愚かではない、
自分を賢いと思い上がっている者が、本当の愚か者である」

すっかり弟子をやめようと思っていた槃特は一瞬キョトンとします。

そして、仏陀はこう続けます・・・

「おまえの一番大好きなことはなんだね?」

槃特は、「はい、私はそうじが好きです」とこたえました。

「そうか、おまえは多くのことを憶えられないようだから、
その大好きなそうじをしながら、このように唱えるがよい」

「塵を払い、垢を除かん」(ちりをはらい、あかをのぞかん)



「はい、それなら、私にもできそうです!」

「そうか、ではがんばるのだよ・・・」

仏陀にそういわれて、嬉しくなった槃特は、たまに忘れそうになりながらも、
「塵を払わん、垢を除かん」(ちりをはらわん、あかをのぞかん)
と唱えながら、箒をもってそうじをしていきます。

一年、二年、五年、十年、二十年と、ひたすらにやっていきます・・・

その姿勢に、始めはバカにしていた他の弟子達も、
次第に彼に一目を置くようになります。

やがては、仏陀からいわれたことを、ただ黙々と、直向きに、
淡々とやり続けるその姿に、槃特を心から尊敬するようになりました。

そして、ついに槃特は、
仏教でいうところの「阿羅漢(アラカン)」の境地に到達します。

 



「阿羅漢」とは、反省修行をおこなって、心の汚れや曇りを落とし、
第一段階の悟りを得ることです。

ある日、釈尊は、大衆を前にしてこう言いました。

「悟りを開くということは、
なにもたくさん覚えることでは決してない。
たとえわずかなことでも、徹底して行うことが大切なのだ。」


「見よ。周利槃特は箒で掃除することに徹底して、
ついに悟りを開いたではないか!・・・」

 

<引用終了>

 

 

イエスもこう仰いました。

 

あなたがたの中で、人よりも偉くなりたいと思う者は、

皆に仕える者になりなさい。

 

あなたがたの中で、人の先に立ちたいと思う者は、

皆の僕(しもべ)になりなさい。

 

 

私が、私がと、

 

何が何でも人に注目され、尊敬を得たいと思うよりも、

 

・謙虚な人、

・進んで人々のために奉仕しようとする者

・決して目立って表に立とうとはせず、人知れず縁の下の力持ちに徹しようとする者

 

神様は全部見ていらっしゃいますから、

そんな人を愛するのではないでしょうか?

 

そんな人に、まず幸せになって欲しいと思うのではないでしょうか?

 

シリウスBから来られた瀬織津姫

 

 

もう心の時代

物ではなく、一人一人の心が大切にされる時代に入っています。

 

悪しき心は誰にでもあります。

 

ですが、それに気づいた時、

心から反省し、改めようとするのか?

 

それとも、楽な道、つまり

今まで通り見て見ぬふりをして、やり過ごすのか?

 

道は分かれ、行きつく先は全く異なる場所となります。

 

美しい地球

 

自我の限りを尽くした人々の地球はこうなるかもしれません。

 

 

私たちの心こそが、生きる世界を構築し、

その世界を天国にも、地獄にさえも変えてしまいます。

 

 

 

※画像の一部はネットからお借りしました。