日本では古くから降神の儀式がありました。

 

この降神は、日本では古くは「手乞い」と呼ばれ

巫女さんに神様が来られた時の徴(審神者)として使われたようです。

 

古事記(国譲り)にも記載されています。

また相撲のルーツとされ、日本相撲協会のHPでも紹介されています。

 

・神様に入っていただく方(中座と呼びます)と、

・神様に質問される審神者的な役割の方(前座と呼びます)

 

の2名で行われることが多いようです。

 

大相撲の神降ろしと神送り

 

このご神事は、相当なエネルギーを消耗します。

今風に言えば、 HPを大量消費します。

 

ですので、長時間は行えません。

体力と、気力を奪います。

 

ですので、質問される方も、

・ただの興味本位

・思い付き

・気軽な依存的な心

 

であってはならないのだそうです。厳しいです。

 

そんな内容に、神様は興味がありません。

 

霊性の国、日本

 

本来は、前座の役の方が質問者の、

質問を承って、仲介役として、中座の神様に質問します。

 

ですので、

中座の方は、質問者の質問を一旦ここでフィルターにかけて

 

本当に神様に質問させていただいてよいものかどうかを

取捨選択する必要があるのだそうです。

 

 

・あれしてくれ、これしてくれ

・どちらの道を選べばよい?

・病気は治るか?

・いつ死ぬか?

 

などは、本来は神々に質問することではないようです。

 

そして、神々は優しいです。

そして私たちの小さな悩みまで全てを知っています。

 

質問者の、全ての過去世と、現状と未来世までも

 

 

ですので、将来起こりうること全てを分かっていますが、

質問者が気に入るようなお答えはしません。

 

また、質問者を絶望させるようなお答えもしません。

 

 

常に神々のお答えは、それこそ良寛さんの愛語のようなものです。

 

・人を温かくする言葉、

・明るくする言葉、

・優しい気持ちにする言葉、

・励まし続ける言葉…

 

このようなことしかお答えにならないのだそうです。

 

 

質問者の未来に、どんな状況が待っていようとも

 

それが人間的には「悪い出来事」であっても

 

神々にとっては、その出来事を乗り越えてこそ、

その先に幸せがあることが分かっていらっしゃいますから、

 

絶望させるようなことは仰いません。

 

全て、その方の心に

勇気の火を灯す言葉だけをお答えくださいます。

 

優しいです。

何者をも包み込む、絶対的な愛です。

 

 

ですから本当は、わざわざ神々の前に来て

相談する必要もないくらいです。

 

神々は言わなくとも、全てを知っており

常に、私たちとともに居り

 

私たちの幸せのために働いてくださっているからです。

 

 

それでも、私達、一般の凡人は

日々起こる、いろいろな出来事に

一喜一憂し、取り越し苦労をして悩み、苦しみます。

 

誰かにすがりたい

神様にすがりたい気持ちを持つのも当然のことです。

 

ですが、本当は質問する前から、神様の答えは決まっているのです。

 

私たちが判断して決めた方で良いのです。

 

 

どんな状況が私達の身に降りかかろうと

 

それは、神々が、そうなることを許された出来事です。

 

その苦難を経験することで

私たちの魂は鍛えられ、輝きを増すことができます。

 

その先には、大きな幸せと喜びが待っています。

 

その苦難の中で、

 

・神々や関わってくださっている方々に感謝すること

・嫌な役を引き受けてくださっている方に感謝すること

 

 

・「ありがとう」の言霊を何万回繰り返すのでも構いません。

・人の嫌がる仕事を率先して引き受けることでも構いません。

 

そうこうしているうちに、苦難は過ぎ去っていきます。

 

穏やかな心に戻れるときが、絶対に来ます。

 

 

その時に振り返ってみれば、

 

あの悔しかったこと

悲しかったこと

寂しかったこと

 

全てが、自分の心を深く、豊かにしてくれたことに気づきます。

 

どうか勇気と希望を失わないでください。

 

必ず、夜は明けますから。

 

 

 

 

 


※画像はネットからお借りしました。