今日は、鈴木秀子さんのお話です。

鈴木さんは、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了し、
聖心女子大学で教授をなさっています。

 



鈴木さんは47歳の時に、修道院の高い階段から転げ落ち、
5時間も意識不明になった時に、臨死体験をされました。

まさにその時、神とお会いされました。

神さまの無条件の愛に包まれ満たされた体験で、
「死は恐れることはない」 という確信をもったそうです。


 

その後です、
摂理としか思えない方法で、重病の病人のところへ招かれるようになったそうです。


回復が難しいとされる人たちを病院や施設に訪ねると、
必ず相手の手を握り、呼吸を合わせて祈ります。

呼吸を合わせると、相手と自分がひとつになり、

そして自分を通して「神の恵みが注がれるように」と祈られるのだそうです。


 

その時の様子を、鈴木さんは、次のように語ります。

<引用開始>

私は手を当てたまま、本当に神様の愛が伝わって、
私を通って その方に伝わり、
神様(の愛)が循環しているような…  


臨死体験で味わった、
無条件の中にいる安らぎというか安心感というか、
そういうものをもう一度、わずかにここで
再現しているような幸せ感を感じますね。

 



つらい人とか、もう死を控えている苦しい人は、
もう見栄とか体面を作るなんてことができなくなる。


命のギリギリまで迫られているから、
その人のありのままをさらけ出してるわけです。


だから私はその人たちに刺激を受けて、
自分も飾ることもなく…


その人たちのありのままを
こんなにも ありのままをぶつけてくれる。


で、私もありのままを引き出されて、
そうすると、お互いに「一体感」が浮かんでくるんです。

 




もう死ぬ前の人間が一番望むのは「愛」だけなんですよ。


だから、ご自分も愛をあふれさせるし、愛を受け止める。


だから病人のお見舞いに伺うのは、


大きな喜びであり、恵みであり、
癒しを与えてもらう瞬間でもあるんです。

<引用終了>



鈴木さんの臨死体験を書いた記事は →死を恐れる人 


不幸や病気は、誰にでも訪れます。

神さまは、それを利用して、私たちの魂を高みにあげようとしてくださるからです。


ですが、その現れた現象に執着し、しがみつき
不平、不満、愚痴、呪いの言葉を吐いているうちは、

きっとますます泥沼に落ちてしまうことでしょう。

 



ですが、その現象に対し、

・追いかけない
・執着しない


かえって、その現象を下さった神様に感謝してみる。。

そうすると、だんだんと、その現象が現れた意味が分かってきます。

そして、その学びが終われば、
いつの間にか、その現象は、消滅していることでしょう。

ですが、これはなかなか普通の、私たち凡人には難しいことかもしれません。

 




鈴木さんは、幸せになるための方法について、こう仰います。

・聖なるあきらめ、真理を受け入れる事。
 人間が心を楽にすると、別の道が開けます。

・寝る前に3つ感謝する。
 何でもいい。ご飯が食べれる。風雨がしのげるなど。

→聖なるあきらめ 





皆さんが、内なる神さまに気づき、お幸せになられますように。



※画像の一部はネットからお借りしました。