顔の軟骨が腐るという難病にかかった大島みち子さんは、
高校を五年かかって卒業し、京都の同志社大学に入学しました。
しかし病気が再発し、長い病院生活が始まりました。
その間に、ある大学生と知り合いになり、
互いに手紙を取り交わす間柄になりましたが、
とうとう2人は一緒になれずに、
短い生涯を病院のベットのうえで閉じました。
その大島みち子さんが書き残した日記を集めたのが「若き いのちの日記」です。
今日は、その日記の中から一部ご紹介します。
<引用開始> 引用終了
「病院の外に健康な日を三日ください。
一週間とは欲ばりません、
ただの三日でよろしいから病院の外に健康な日がいただきたい」
「一日目、私はとんで故郷(ふるさと)に帰りましょう。
そして、お爺(じい)ちゃんの肩をたたいてあげたい。
母と台所に立ちましょう。父に熱燗(あつかん)を一本つけて、
おいしいサラダを作って、楽しい食卓を囲みましょう。
そのことのために一日がいただきたい」
「二日目、私はとんであなたのところへ行きたい。
あなたと遊びたいなんていいません。
お部屋のお掃除をしてあげて、
ワイシャツにアイロンをかけてあげておいしい料理を作ってあげたいの。
そのかわりお別れの時、優しくキスしてね」
そして、静かに一日が過ぎたら、
三日間の健康をありがとうと、笑って永遠の眠りにつくでしょう」
<引用終了>
「女性自身」の特集記事 1963年 (昭和38年) 12月9日号
副題は 「残された四百通の往復書簡が語るもの」
この大島さんの経験を元に作成された
『愛と死をみつめて』は、大学生河野實(マコ、1941年8月8日 - )と、
軟骨肉腫に冒され21年の生涯を閉じた大島 みち子(ミコ、1942年2月3日 - 1963年8月7日)との、
3年間に及ぶ文通を書籍化したものです。
映画(吉永小百合主演)、テレビドラマ化もされました。
あらすじは兵庫県立西脇高等学校に通うミコ(大島みち子)は、
顔に軟骨肉腫ができる難病に冒されていた。
阪大病院に入院した際、同じ病棟で長野県出身の浪人生マコ(河野実)と出会い、
互いに18歳のタイガース・ファン同士で意気投合し、文通を始める。
その後ミコが同志社大学、マコが東京の中央大学へ進学してからも文通は途切れず、
ミコの病気が再発して再入院した後も、
マコは夏休みに大阪駅ホームのビール売りのアルバイトを続けてミコを励ます。
夏休みが終わって、東京に戻ったマコとの文通が闘病生活の大きな支えになっていく。
マコはその後もアルバイトをして長距離電話で励ましたり、
旅費を工面して阪大病院を訪れるなどし、2人の愛は深まるばかり。
しかしミコは手術で顔の半分を失い、さらに病気は悪化していく。
そして、マコの22歳の誕生日の前日に、自らのメモリアルデーを刻んで、この世を去って逝く。
<あらすじ終了>
若いお嬢さんの顔が崩壊して行き、ついには命が無くなってしまう病気
どんなにお辛かったことでしょう。
好きな人と結ばれたかったことでしょう。
結婚したかったことでしょう。
親御さんも同じ気持ちだったでしょう。
せめて一度くらい恋をして、好きな人と暮らさせてあげたいと、、
なぜ神様は、そんな理不尽なことをなさるのかって。。
あまりにも人間的な質問なのですが、
以前、私の内なる神様に聞いてみた事があります。
そして、私の中の神様の答えは。。
神様の花嫁となる・・
と言うものでした。(以下妄想です)
つまり生前、結婚、出産、子育て、
その他の女性としての、経験をすることがなかった女性達には、
それに代わる
深い愛と祝福を神様が用意して下さっている。(神様の花嫁とはその比喩です)
もちろん大切な、人生の目的を遂行する為に、
今世は結婚しないと決めて来た魂達も多いでしょう。
また大島さんのように、病気を計画して生まれて来た魂も多いでしょう。
ですが神様は、分け隔てなく、皆に幸せになって欲しいのです。
その自分で計画した経験のために、得られなかった
大きな愛を、代わりに用意してあるのだそうです。
人知では計り知れない神様の愛と、