2019年2月16日の、長岡市3社(宝徳山稲荷大社含む)めぐり

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一昨日、天皇陛下のお誕生日にあたり、お言葉がありました。

平成最後の、お誕生日でのお言葉となります。

 

 

そのお言葉。

国民の幸せと、国家の安寧を祈り続けるお姿に、胸を打たれました。

また、象徴としてのご自分を受け入れ、支えてくれた国民への感謝や、

皇后陛下への労いのお気持ち。

 

まさに愛情溢れる、お人柄が現れたお言葉でした。


特に平成天皇は、災害などで苦しんでいる国民、

そして弱き者へ寄り添おうとされる姿勢が、随所に見られた陛下でした。

今日は、今年8月に書いた記事ですが、

その陛下に敬意を表し、再度加筆して掲載したいと思います。
 

まさに陛下の人格、霊性を示される内容です。

 

 

 

来年の4月30日、今上天皇、明仁さまが退位することが決まっています。

 

平成も、来年4月で終わりになります。

 

 

今日は、陛下の四方拝ということで、

 

私たち一般国民にはあまり知られていない、

 

陛下の年の初めの儀式について書きたいと思います。



四方拝(宮内庁書陵部蔵)

これは、小林正観さんと、

東京大学医学部名誉教授の

矢作直樹さんが。教えてくださった内容です。

四方拝(しほうはい)とは、

毎年元旦に、天皇陛下が行われる行事のことです。

まだ夜が明けない早朝、

陛下が特別の建物に入られ、

四方の神々をお招きして、そこで祈りを捧げられます。


四方拝

 


そして、ここが大変ショッキングなのですが。。 

 

その祈りの内容です。

もし今年、日本に災いが降ってくるのであれば、

 

まず私の体を通してからにしてください

という祈りなのです。

正観さんは、「普通では考えられない」


60年間生きてきて、

人生最大のショックだった言葉・・と言われました。

もう少し、この四方拝について詳しくご説明します。

 


四方拝

 


<転載開始> 転載元

先日、矢作直樹先生のご講演を聞く機会があり、

そこで先生が四方拝についてお話をされていました。


あまり知られていないことでもあり、

大切なことでもありますので、

私からも少し四方拝について、述べさせていただこうと思います。



四方拝(しほうはい、よほうはい)は、

毎年元旦に天皇が行われる行事です。

まだ夜が明けない早朝、天皇が特別の建物に入られ、

四方の神々をお招きして、そこで祈りを捧げられます。

どのような祈りかといいますと、ちょっとショッキングです。


天皇が神々に、


「国家国民の、ありとあらゆる厄災は、


 すべて私に先に、お与えください」と祈られるのです。



少し詳しく述べます。

知らす国において、

天皇は臣民を代表して神々と繋がる御役目です。

その天皇が神々に、

 

「ありとあらゆる厄災は、

すべて我が身を通してください」と、

 

年のはじめに、神々に祈られるのです。


四方拝にちなんだ舞

 


お招きされる神々は次の通りです。

伊勢神宮(皇大神宮・豊受大神宮)
天神地祇
神武天皇の陵(みささぎ)
先帝三代の陵(明治天皇、大正天皇、昭和天皇) 
武蔵国一宮(氷川神社)
山城国一宮(賀茂神社)
石清水八幡宮
熱田神宮
鹿島神宮
香取神宮

香取神宮



そして次のように祈りを捧げられます。

賊冦之中過度我身
毒魔之中過度我身
毒氣之中過度我身
毀厄之中過度我身
五急六害之中過度我身
五兵六舌之中過度我身
厭魅之中過度我身
萬病除癒
所欲随心
急急如律令


伊勢神宮



要するに

あらゆる災害は、

 

民衆が、その厄災を受ける前に、

 

まずは、我が身を通してください。

陛下は、新年のはじまりにあたって、

 

誰よりも早く起きて、

ありとあらゆる厄災は、

自分の身にこそ降りかかれ。

そして万病が取り除かれ、

 

民が癒やされるよう

自分の心は神々のまにまにあるのだから、

 

厄災は我が身にのみ、先に降りかかれ、

 

そう祈られているわけです。


鹿島神宮



その厄災とは何かといえば、


「賊冦、毒魔、毒氣、毀厄、五急六害、五兵六舌、厭魅」です。

「賊冦」は、危害を加えようとする悪い賊です。
「毒魔」は、この世に毒を撒き散らす魔です。
「毒氣」は、人に害を与える悪意です。
「毀厄」は、人を傷つける苦しみや災難です。

四方拝では、陛下が神々に、


「これらの厄災は、

 

すべて我が身に先に

振りかかるようにしてください」と祈られるわけです。

 



年のはじめに

神官のなかの大神官であられる陛下が、

 

臣民を護るために、

 

ありとあらゆる厄災は、

すべて私を通してください」と

 

神々をお招きして祈られるのが、

四方拝であるわけです。



世界中に、王や皇帝と名のつく人は、

古今東西、歴史上枚挙に暇がないほど、数多くいたし、いまもいます。

けれど、それらすべての王侯貴族は、

 

ことごとく「支配者として君臨する人」です。


これを古い日本語で「ウシハク」といいます。


 

 

ところが日本の天皇は、

 

神々の御意思を臣民に知らし、

 

神々の大御宝である臣民の

 

豊かで安心して安全にくらしたいという思いを

神々にお伝えする役割です。

つまり天皇は支配者ではなく、

 

無私の大神官です。

 

 

その天皇を頂点とする体制を、

 

これまた古い日本語で、「シラス(知らす、Shirasu)」といいます。

ですから知らす統治のもとでは、

民衆が神々の「たから」です。


神々のたからであるということは、

 

民衆に国家として最高の尊厳が、与えられているということです。

 


つまり究極の民主主義といえる統治が、

シラス(知らす、Shirasu)ということができます。

日本のカタチは、神話の昔から、

 

このことを基本として、できあがっています。

<転載終了>



小林正観さんや、矢作直樹さんが、ビックリするのもうなづけます。

私には、とてもできません。


現在の陛下は、来年退位なさります。

そして皇太子のお話も

先日報道されていましたが、

 

相当に謙虚で真剣なお覚悟でした。



陛下のお人柄や、行動からにじみ出てくるものは、

 

本物であると思っています。


尊敬もしています。

私たちの日本には、そのように

 

他の国には類を見ないような

 

穢れなき、

尊い気概が満ち溢れていました。

 



どうか、私たちの日本が、

これ以上の人心の乱れがありませんように、

縄文の時代の時のように、

神々とともに、人々がいられますように・・

 

 

生きている、

みんなが 幸せでありますように。

笑顔でありますように。

助け合って 生きて行くことができますように。

お互いさまの気持ちで 生きて行くことができますように。

随神の道(かんながらの道)を 歩むことができますように。

誰一人として、
孤独で寂しい瞳をしている人が居ませんように。


皆さんと、皆さんのご家族が、そして、お友達が、
 
お幸せでありますように。
 
輝く笑顔でありますように。

 



※画像はネットからお借りしました。