道のお話 | いっぷくからのありがとう

    日本には、さまざまながあります。

     

    武道と総称される

    柔道、剣道、合気道、空手道、弓道。

     

     

    そして武道以外にも

    書道、華道、茶道... 

     

    さまざまな分野で

    日本人はその道を極めようとします。



    ある分野に付いて、

    技術的熟練だけを目指すのではなく、

     

    そこに凛とした精神性を見て、感じ

     

    そして心を磨き

    その道を極めようとしました。



    自分を律し、

    他を思いやる気持ち


    自然を愛し、

    自然を生かす道を選ぶ

     

    これらは全て、日本の「道」に通じる思想です。

     

    凛とした、清々しい美しさを含んでいます。

     

    日本人のDNAは、素晴らしいですね。

     




    さて弓道について、見てみたいと思います。

     

    参考:「弓と禅」 オイゲン・ヘリゲル著より

    1930年頃、阿波研造という、

    「弓の神」とまで、呼ばれた伝説の弓道家がいました。


    彼の射る矢は、百発百中で、

    誰もその腕に、並ぶ者はいませんでした。



    しかし、それほどの腕を持ちながら、

     

    ある理由で弓道界から、

    異端児、狂人扱いされていたのです。


    その阿波研造の名前を、

    一躍世界へ知らしめたのは、

     

    一人のドイツ人哲学者でした。

     

    名は、オイゲン・ヘリゲル

    阿波研造



    ヘリゲルは、東北帝国大学に席を置き、

    西洋哲学の教授として、

    6年間日本に滞在する中で、

    東洋哲学の研究をしていました。

    そして、西洋哲学と東洋のそれとの、

    最大の違いは、

     

    理論ではなく、

    禅や修行による

     

    「内的な気づき」によって、

    その真髄を会得するところにあることを知りました。

     

    ※注 内に居らっしゃる神さまに気付くこと



    親しい日本の友人に事情を説明すると、


    何か、○○道という、

    道(どう)のつくものを、学べばいいとのこと。

    そこで、奥さんは、

    茶道や華道を、学ぶことになり、

     

    ヘリゲル本人は、相談した友人が、

     

    「日本一の弓道家」に弓道を習っているので、

    弓道を学ぶことに決めたのでした。


    柔道

     


    ヘリゲルは、入門時から、

    その不可解な阿波研造の教えに戸惑います。

    ●腕の力で、弓をひくな。心で引け。
    ●引いた弓矢を自らの意志で放すな。「それ」が放すまで待て。
    ●的を見るな、狙うな。無心になると、矢は、「それ」が当ててくれる。


    不可解な教えに理解できぬまま、

    数年の日々がたち、

    進歩が無いことを、ヘリゲルは焦っていました。

     

    阿波研造

     


    「それ」が矢を放つという教えが、

    どうにも理解できない・・・

    そして、ついに弓道を辞める決心を告げます。


    それを聞いた師匠は、

    ヘリゲルを真夜中に道場に連れて行きました。


    どうやら、暗闇の中、

    見えない的に、

    矢を的中させようとしているようでした。

    第一に放った矢は、、

    真っ暗闇の中に消え、

    バシッと突き刺さる音がしました。

     

    阿波研造

     


    その音で、的に当たったことが、

    ヘリゲルには、理解できました。

    まぐれだろ・・・そう思って見てるヘリゲル。


    しかし、その思いを打ち砕くように、

    第二の矢が放たれました。


    暗闇の中に、またも、的に当たる音が聞こえます。

    驚くべきことに、そのとき、

    師匠の両目は、ほとんど閉じられていたのです。

    放たれた矢を、確認するように言われるヘリゲル。

     

    ヘリゲル

     


    矢を確認すると、

    「第一の矢」は、的の中心に的中し

     

    「第二の矢」は、第一の矢の最後尾

    「筈(はず)」にあたり、

     

    それを、真っ二つに引き裂いて、

    的の中心に突き刺さっていたのです。

    その神技をみて、

    ヘリゲルは、呆然とします。



    師匠の阿波は、言いました。

    「暗闇で的が見えない中、

    この矢は、私が狙って射たものではない」


    「この矢は、【それ】が、射たのです。」

    道を究めると、

     

    不要なものは全てそぎ落とされて、

    まさに神の領域に入るようですね。

    やはりこの「道」の字がつくものは、

     

    ずっとずっと昔から変わる事なく、

     

    今の時代にまで受け継がれ、

     

    そしてこれから先の未来にも続いていくもの。

     



    この「道」の世界を極めるという事は、

     

    ある意味、

    自分の人生を極めるという事と

    同じ意味かもしれません。

    「道」の字が付いている世界で、

    ある程度の経験を積んでいる方は、

     

    凛として自分を律し、

     

    たたずまいが違ったり、

     

    人間力が大きかったり、

     

    何となく凡人とは違う雰囲気を漂わせています。

     

    合気道開祖・植芝盛平



    ぶれることなく、その世界を進んできた中で、

     

    色々な壁や苦しみを乗り越え、

     

    それが人間力として醸成され、

     

    それによって一回りも二回りも、

     

    大きく成長してきているのかもしれません。



    自分を信じ、

     

    自分の人生を邁進する事も

    立派な「道」です。

    その道を極める為に、

     

    人は皆、日々の出来事に

    喜一憂しながら、

     

    その中に、学びを感じ取りなら、

    生きていくのかもしれませんね。

     


    私たちの心の中には

    どなたにも、神さまがいらっしゃいます。

     

    自分さえ良ければ・・・という

    自我や欲望をそぎ落とし、

     

    艱難苦難の中に置いても

     

    自分の中の神さま

    そして相手の中に居らっしゃる神さまを信じ

     

    感謝して、

    助け合い、お互いさまの心を尊重していれば

     

    いつか、内なる神さまが

    常に表に出てくることができ、

     

    まるで神業のようなことを

     

    当たり前のように、

    なさるのかもしれませんね。

     

     

    生きている、

    みんなが 幸せでありますように。

    笑顔でありますように。

    助け合って 生きて行くことができますように。

    お互いさまの気持ちで 生きて行くことができますように。

    随神の道(かんながらの道)を 歩むことができますように。

    誰一人として、
    孤独で寂しい瞳をしている人が居ませんように。


    皆さんと、皆さんのご家族が、そして、お友達が、
     
    お幸せでありますように。
     
    輝く笑顔でありますように。

     



    ※画像はネットからお借りしました。