先日のNHKの特集でノーベル化学賞を2002年に受賞した田中耕一さんにスポットを当てた番組を見ました。

田中さんが気になった方はコチラ↓↓↓
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/田中耕一



「偶然とは強い意志がもたらす必然である」

というテーマを基に博士でも学者でも無い、一人のサラリーマン研究者であった田中さんが、ある日、実験のミスから偶然タンパク質の分析方法を発見し、ノーベル賞を受賞する。

それまで全く注目すらされておらず、また発見しただけの功績で思いがけないノーベル賞という大きな受賞の重圧と世間の注目に悩む16年の日々。

ノーベル賞の功績によって会社から予算をもらい、ノーベル賞を払拭するかのように新たに、血液一滴から病気の診断を行う研究に没頭する。

しかし壁が厚く、くじけそうになるが研究のアイデアを求め海外を飛び回り、ノーベル受賞者でありながら大学生の研究にまで耳を傾けて、チームを作り、世界初の血液からアルツハイマー病の診断法を発見し、再度世界から注目を集める。

というものでした。

田中さんからしたら偶然のノーベル賞が重く肩にのしかかり、引き下がれないからこそ、膨大な研究の末にアルツハイマー病の血液診断法の発見までたどり着いた強い意思と、途方もない根気の結晶が生まれた覚悟した者の素晴らしい実績だと思います。




以上の話は本当に聴き心地の良い、苦労からのサクセスストーリーだと思いますが、世の中は残酷な事に全ての人がハリウッド映画やドラマのように苦労すれば必ず成功するというモノでも無いと思います。

田中さんよりも以前に同じ研究をして、発見に至らなかった研究者、研究時間は膨大にあるはずです。
その方達は非常に残念な事に、発見という成功には至れなかった。

これもまた世の中の事実だと思います。


違いは何か?というと悲しいかな「運」も現実にはあると思います。
でもそれを言ってはおしまいですし、別で運について書きたいなと思います。

もう一つも悲しいかもしれませんが「センス」「才能」という類のものです。

自分の進む道に合致するセンスが乏しいと、成功できない訳ではなく、成功まで時間がかかるという事があると思います。
極端な話、死ぬ直前まで時間がかかってしまうかもしれません。

センスのある方は悔しいけど、サッとできてしまいます。

そしてそのセンスがあるか無いかは、絶対にやってみないと分かることはできません。
時々いる仕事をやってもないのに、最初からセンスが無いと決めつけて、取り掛からない人。
短期間しかしてないのに一つ壁に当たったからといってセンスが無いと決めつける人。

この人はそもそも成功するセンスがありません。
物事を工夫するセンスもありません。

成功するセンスや工夫するセンスが無い人は、自分にとって経験機会はあるものの、成長機会の無い居心地の良い所で漫然と過ごして終わり。
というパターンです。

それも本人が納得しているのなら良いのですが、周囲に良くない影響を与えていたらナンセンスですね(^_^;)



かと言ってセンスがあってもすぐに成功する訳でも、必ず成功する訳でもありません。
ある程度自分が納得するまでやってみて、方向を修正する事に自分が納得していたら、それは失敗ではなく、成功する途中という事です。

その強い意志があれば、ある日偶然、訪れる成功は必然になる。

という事なんでしょうね。





ただ、努力しても必ず成功する訳ではないから人生は難しく、残酷で、現実があるものの、面白く、意味があるんですよね( ^ω^ )