城及び城下町の基礎は、播磨の国を平定した羽柴秀吉が、家臣及び商人を移住させ、整備したと現地案内版に書いてあった。
天守閣は関ヶ原の合戦後間もない頃、その戦功により播磨の国を与えられた池田輝政により作られたものであり、その後、江戸幕府の西国の抑えの城(軍事拠点)として親藩、譜代の大名(本多氏、松平氏、榊原氏、酒井氏)が、城主となった。そのため十分な普請が行われ、現在の形を保つことができた。さらに第二次世界大戦においては2度の空襲を受け焼夷弾が投下されたが、建物に大きな被害はなかったのは、奇跡と言える。
天守閣に登るのは今回が2回目だが、なんとも言えない、いい気分を味わった。















