「シン・エヴァンゲリオン」がもうすぐ劇場版が公開とか聞きまして、
久しぶりに、「エヴァンゲリオン」を観てみました。
テレビで放送されていた頃、ちょうど私はオーストラリアに移住しました。
ですが、なぜかオーストラリアでひととおり観た記憶があります。
日本からお友だちがビデオで送ってくれたのかな?
今となってはナゾですが、テレビ版の最後(第26話)まで観ました。
ワッケわからない戦闘アニメのわりに、なんだか惹かれるものがあり、ワッケわからないまま最後まで観て、結局ワッケわからんまま。
宙ぶらり~ん
その後、劇場版とかいろいろ出てきたようですが、そのことすら知りませんでした。
今回、テレビ版からひととおり再鑑賞してみて、当時の自分がこの作品に惹かれた理由が分かる気がしました。
そこで、劇場版「まごころを、君に」まで観ました。
この先、「序」「破」「Q」の3連作まで観るかどうか、まだ決めていません。
(目が疲れた・・・)
が、ここまで観ただけで、私の内面でとても役立つ《ヒント》があったので、そのことを書いてみようと思います。
あくまで、私個人の解釈、妄想です。
ただでも、ワッケわからない物語で、いろんな人がいろんな分析、解釈、解説、妄想していたりしますけど、どれが正解ということもなく、人それぞれに勝手に楽しめるのがエヴァンゲリオンの素晴らしいところなんだと思います。
*****
今の私がエヴァンゲリオンを観ると、これは承認欲求をテーマにした物語として捉えられます。
インナーチャイルドの物語 といってもいいかもね
親からの承認を得られず、承認に飢えたキャラばっかりで、個人的にはかなり苛立ちます
が、キャラそれぞれに自分の承認欲求と向き合い圧し合いしながら、成長していきます。
そして、みんながブーイングするワッケわからんエンディングのシーン。
シンジがアスカの首を絞めたあと、アスカのセリフ
「気持ち悪い」
この意味が今はとてもよく分かるのです。
(私の勝手な解釈です)
私から見ると、この物語は、実は
どえらく哲学的で、ど深くスピリチュアルなお話なんです。
エンディングで見せてくれているのは、
「承認欲求にまみれた人間世界」
vs
「すべてがひとつになった平穏なワンネスの世界」
なんだな、と感じます。
人間は承認欲求だらけの存在で、だからこそお互いを(あるいは自分を)傷つけあったり戦いを起こしたりする。
人にはそれぞれ心の壁=人と人との境界(=ATフィールド)があるから、心のなかにいつも欠如した感じ、不安や恐れや満たされない感情を常に持っている。
だったら、その境界を取り払って、みんながつながれば満たされるのではないか?
これが、スピリチュアル界で言われる「ワンネス」だと思います。
ピュアな愛に満たされ、みんながつながりあった平穏な世界。
それに似たような世界を実現しようとするのが、ゼーレの「人類補完計画」。
最終的にはそれが実現して、すべてがつながって溶け合ってひとつの世界になろうとするのですが、
神と化したシンジ(エヴァ初号機)は、「ワンネス」ではなく、「もとの人間世界」を選ぶ。
みっともなくて、ドロドロしていて、傷ついてばかりの情けない、認められたい人だらけの人間世界をあえて選ぶんです。
その象徴が、あのアスカの最後の台詞 だと思う。
*****
「ワンネス」ってよくスピ系や意識高い系の人がよく使う言葉だけど、
(私も使ったことあると思うけど…笑)
ほんとのワンネスって「魂世界」だと思うので、
(死んだら誰でもワンネスに戻れる)
この人間世界でワンネスなんか目指してたら勿体ないと思うのです(爆)
この人間世界は、ぐちゃぐちゃドロドロのなんでもアリ!
だからこそ面白いわけで、
それを楽しむために私たちの魂はここに来たんじゃないの?!
だから、シンジ君の選択に賛成~!
いろいろあって大変だけど、だからこそ、地球に来たんじゃん!
この人間世界のぐちゃぐちゃドロドロ、そのまま受け入れて「承認」してあげようと改めて思いました。
私のなかのぐちゃドロも、まわりのぐちゃドロもね。
そのまんまで美しい
*****
エヴァンゲリオン観てない人には意味不明かもしれませんが、
興味あったら観てみてください。
メカマニアやアニメオタクの男子だけに独占させておいたら勿体ない、
ふか~い作品です♪
(てか、お子ちゃま男子には、この深さは分からんやろな。。)
おそらく 「まごころを、君に」だけ観れば、
私が言いたいことは伝わると思います。
伝わる人には・・・
ここから先は、わたしもまだ観てない・・・
観たほうがいい???