水に「ありがとう」という言葉を見せると きれいな結晶ができて、

「ばかやろう」という言葉を見せると きたない結晶ができる。

 

・・・このお話、みなさん聞いたことはあるだろうと思います。

 

江本勝さんの著書 『水は答えを知っている』 で有名になりましたね。

 

 

江本さんはさまざまな条件の水を結晶化させ、その写真を撮影して出版しました。

 

私もこの本に掲載されたさまざまな結晶を初めて見たときは、その美しさ、そして結晶の違いに驚いたと同時に、「なんとなく分かる」感覚 がして納得したものです。

 

たしかに「言霊」ってあるように感じますし、

水にその微細な波動の記憶があるとしても、

まったく不思議はない気がします。

 

そんな「腑に落ちる感」をもった人は私だけではないようで、

この本はものすごく売れました。

 

英語にも翻訳され、アメリカでも大ヒットセラーとなりました。

 

その一方で、科学者たちからたくさんの批判も浴びました。

 

批判されたのは、「再現性がないこと」

 

科学というのは、

「同じ条件なら、誰がやっても同じ結果になる」 (=再現できる)

ことが前提なのですが、

 

この江本さんの水の結晶は、誰がやっても同じ結果にはならないのです。

 

「そのような結晶が現れる具体的な条件を提示せよ」

というツッコミが多くあったようですが、

それに対する回答は提示されませんでした。

 


このあたり、日本ではあまり知られていないようなのですが、

アメリカでは訴訟にまでなっています。

(江本さんの会社が販売していた「波動測定器」に関する訴訟で、原告の証拠不十分で終わっていますが…)

 

***

 

日本の物理学者の方たちが、その批判点について分かりやすく書いてくださっています。

「水からの伝言」を信じないでください

 

 

また、日本語のウィキペディア「水からの伝言」 にも詳しく解説されています。

 

 

 

 

このように日本語でも「ちょっと待った!」情報は、あちこち出ているのに、

学校の道徳教育に利用されちゃったり、

科学的(っぽい)研究の裏付けとして使われていたり・・・

 

コロナ自粛タイムに本を紹介するバトンが流行りましたが、

あのときも、江本さんの著書の出現率がひじょうに高くて、

ひそかに驚いていました。びっくり

 

もしかして、みんな、知らないのかな・・・???

 

*****

 

私は、

言葉や音などの波動が水に影響すること、

そして、水がその記憶を保持すること、

 

については否定するつもりはなく、

個人的には「そんな気がする」という感覚があります。

 

ただ、ここで気を付けたいのは、

「そんな気がする」

「科学的に立証されている」

まったく別のこと、っていうことです。

 

江本さん説に「共感」したり、「信じる」のはアリアリなのですが、

「江本さんによって科学的に立証されました」

と言い切ってしまうのは、明らかに間違い

 

実際には、

「これは仮説であり、今の科学ではまだ立証されていない」

・・・ってことなんです。

 

***

 

江本さんは既にお亡くなりになっていますし、

直接お会いしたことはありませんが、

お話を伺う範囲では、

とてもピュアな方だったんだろうな~

と勝手に想像しております。

 

ご自分の感覚を信頼していたからこそ、

たくさん出来た水の結晶から、

自分の感覚に近いものが目に飛び込んできた…

といったことがあっても不思議はないなと思います。

 

 「ありがとう」でできたたくさんの結晶のうち、

 一番美しいと思えるものを選んで撮影し、

 「ばかやろう」でできたたくさんの結晶のうち、

 醜いと思えるものを選んで撮影していた・・・

 

という裏話も聞いたことがあります。

(真偽のほどは定かではありませんが、「そういうことなら納得!」と思いました。だって、結晶ってひとつやふたつじゃなく、たくさん出来るでしょうから…)

 

感覚をイメージ画像として表現していただけならよかったのですが、

「科学」の領域に足を突っ込もうとしたために、叩かれちゃったのでしょう。

(ご本人もその後、「ポエムだと思う」「科学だとは思っていない」といった発言をされているようですが…)

 

***

 

私もFeelFreeフラワーエッセンスを作ったり、

 

パワーストーン

 

エネルギーヴォ―テックス

 

スピリチュアルアロマ

 

スピリチュアルクレイ

 

といった、「科学的な証拠のない感覚アイテム」 を扱っています。

 

 

だからこそ、

「科学」 

「まだ科学的には立証されていないけど感じること」

の線引きには、気を使っているつもりです。

 

「まだ科学的には立証されていないこと」を「科学です」と主張すると、

「ニセ科学」「疑似科学」 として否定されてしまう。

それは残念だし、勿体ないことです。。。

 

 

たとえば、クレイセラピーもそう。

 

科学で立証されていることもあるけれど、

まだ分からないこともあり、

そういう点を「〇〇と考えられます」などと婉曲表現していたりします。

 

 

そんなあいまいさを嫌う人もいますが、

逆に言えば、

「科学的に立証されていないものは、すべてダメなのか?」

というと、そんなことはない。

 

そこは各自の信念、感覚、選択に委ねられます。

 

そういう自由さ、自己選択の楽しさもまた、

人生の醍醐味ではないでしょうか。

 

 

以上、

科学的じゃないものも役立つけれど、

科学的に立証されているものと、そうでないものは

切り分けて考えたいですね♪

 

というご提案でした。