シドニーオリンピックの年、シドニーで暮らしていました。

 

双子が生まれた直後で、おおわらわ。

 

 

 

 

※この記事は、オリンピックはオワコン(1)の続きです。

 

 

いちおう聖火リレーは見に行ったのだが、ベビーカーの赤ちゃんが二人揃ってビービー泣き出しちゃって、それどころじゃなかった(笑)

 

オリンピックのおかげで、道路は激混みだし、人は増えるし、不動産バブルになるし、規制ばかりだしで、生活実感としては迷惑意外のナニモノでもなかったです。ショボーン

 

まあ、そのおかげで、シドニー脱出を決め、この大好きなレッドランドのおうちに引っ越してきたわけなので、感謝しています。

 

そんなわけで、あまりエンジョイできなかったシドニーオリンピック(涙)ですが、

ゲーム開催中、ちょっと印象的なことがありました。

 

 

海外在住の方はご存知でしょうが、

現地テレビ等マスメディアのオリンピック報道では 

日本代表はまったく出てきません。

 

日本のマスメディアは日本代表を映し出しますが、

オーストラリアのマスメディアは、オーストラリアの選手ばかりを映します。

日本人がまれに出てきたとしても「敵」として紹介されます。

 

最初は、「日本選手見られないから面白くないな~」と思ってましたが、

たまたまオーストラリアが得意とする競技=水球で、

オーストラリアのチームが接戦の末に勝った~!

というゲームをテレビで見ました。

 

このとき、けっこう熱中して、オーストラリアのチームを応援している自分がいました。

勝った~!の瞬間は、感動して涙まで出ました。笑い泣き

 

ここで、はっ としました。びっくり

 

あれ? 私、この人たちとなんか関係あったっけ?

 

ちょっと寒気がしました。ガーン

 

全部物語なんだよね。

物語のなかに引き込まれ、自分を投影していた。

 

オリンピックに限らずだけど、

スポーツ観戦はじめ、映画や芸能などエンタメって、

自分を何かに投影させた物語なのだよね。

 

そして、どんどん疑問が膨らんでいきました。

 

日本人だからって、日本代表ばっかり応援するのって、どうなんだろう?

これって、ナショナリズムの集団洗脳にも使えちゃうよね。

(↑ここすごく気になる・・・)

 

世界じゅうの選手が集まって競技するのはいいけど、

なんで「国ごと」にメダルを争うんだろう?

 

日本がメダル何個とったとか、どーでもいいんじゃないの?

メダルの影に隠れた、たくさんのストーリーが埋もれているんじゃないの?

 

そもそも、選手でもない一般ピーポー(←これ死語ですか?)の私らが、えらそーにメダル数えて文句言ったり、いい気になったりするのって、なんかおかしくない?

 

・・・・・

 

古代ローマ時代シーザーは

「市民には食べ物とシェルターとエンタメを与えておけば、自由に操れる」

(だったっけ?)

とか言ったそうですが、この構造は2000年経っても利用されています。

 

オリンピックもそのうちのひとつ! かも・・・?

 

 

※「オリンピックはオワコン(3)へ つづく・・・