私が住んでいるオーストラリアは、今日は国民の祝日。
アンザック デー ANZAC Day
#アンザックビスケットを食べる日
ではなくて・・・
Wikipediaによると、アンザックデーとは
「毎年4月25日、第一次世界大戦のガリポリの戦いで勇敢に戦ったオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)の兵たちと、当時国の為に尽力した人々のために追悼を行う。」
いまでは、第一次世界大戦だけではなく、第二次世界大戦、そしてベトナム戦争などあらゆる戦争において、国のために尽力してくれた人たちを追悼する日となっています。
今年は、第一次世界大戦から75年ということで、大きなパレードを予定していたけど、このコロナ禍により、式典は「リモート化」されました。
早朝、家の前の道路に出て、
ラジオを聞きながらともに黙とう。
近所にも、オーストラリアの国旗がたなびきます。
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実は、私はこの日が苦手です。
在豪25年、唯一の居心地の悪い日。
この日は毎年 「セルフ・ロックダウン」
というのは・・・
第二次世界大戦のとき、日本はオーストラリアの敵国。
日本軍はオーストラリア北部の都市、ダーウィンを空爆しているのです。
オーストラリア本土が爆撃されたのは、後にも先にもこのときだけです。
日本がオーストラリアに爆弾落としたって、みなさん知ってましたか?
私はオーストラリアに来るまで知らなかったよ。
それから、東南アジアでの日本軍の捕虜の扱い。
「戦争だからしょうがない」といえばそうだけど、
国際条約違反やっていたんだよね。
私たちが聞かされてきた戦争物語とは全然違うんです!
私たちが聞かされてきたのは、
当時こどもだった親世代から、
「食べ物がなくて、おなかがすいて仕方なかったこと」
とか
「疎開先で大変だったこと」
とか
「お兄さんが戦争に行ったきり帰ってこなかったこと」
(帰ってきた骨壺には石ころとか、名前の書いた紙が入ってた…)
とか。
そして、8月6日、9日、15日に行われる日本の式典。
いずれにしても、被害者側の視点しか聞かされていなかった。
そこにあるメッセージは
「戦争は決して二度と起こしてはいけない」
という戦争NG思想です。
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そこに、アンザックデイがやってくると、
なんともいえない罪悪感と違和感が湧いてきます。
第二次大戦の頃まだ生まれてもいなかった私たちに直接責任はないことは理論的には分かる。
戦争になったら、いいも悪いもないし、「勝ったもん勝ち」だよっていう現実も分かる。
だけど、なんかこう、
日本人として、悪いことしちゃったみたいだね
という、複雑な申し訳なさ。
自意識過剰なのかもしれないけど・・・
(ちなみに、オーストラリアに来て以来、日本人だからといって差別された経験は一度もありません)
そして、もうひとつ。
アンザックデイを見ていると、
「戦争よくがんばったでしょう」というメッセージ性に反応してしまい、
戦争を正当化しているかのように感じられてしまうってこと。
(勘違いなのですが)
アンザックデイそのものにそんな意図はないのですが、
「戦争は決して二度と引き起こしてはならない」と教育され、洗脳されてきた戦後日本に生まれた日本人にとっては、なにかこう矛盾したものを感じてしまうのです。
そう、アンザックデイって、たとえてみたら
日本の「靖国神社参拝」みたいな感じかも。
負けた国と、勝った国では捉え方がまるで違うけれど、
構造は同じ。
「あの戦争は必要だった」
と解釈されているかのような違和感。。。
(しつこいようですが、わたしの勘違いだってのは分かっているんですけどね…)
政治家が靖国神社参拝すると、他国がクレームしたくなる気持ちが、ちょっと分かる気がします。。。
みなさんは、どう感じられますか?
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今、起きているコロナによって、不安と恐れが高まると、
誰かのせいにしたくなる人々の気持ちに火がついて
世界で争いごとが起きてくるかもしれません。
そうならないように、私たちは
不安と恐れの感情を 自分のなかで昇華させていく
ことが大切だと思います。
そのための心理学的なヒントがこちら↓
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ヘビーな内容になっちゃったので、最後はライトに♪
6年前の【アンザックビスケットの作り方】動画です。
この時期になると出回る、オーストラリアで人気のビスケット。
ソフトだけど、かみごたえのある、どっしりグラウンディングなビスケットです(←どんなだ)
おいしいよ♪
ツインガールズ当時13歳。
双子ならではの息の合ったハモリに、微笑んでいただければ幸いです。
なお、ビスケットのプレゼント企画は6年前に終了しております。
あしからず