2024年5月10日(金)

毎日が日曜日の私にはGWには縁がなかったけれど、6日が最終日だった『生誕140年 竹久夢二のすべて』(高岡市美術館)を鑑賞しました。

 

かって夢二の出身地岡山に行ったとき、岡山後楽園を散策、そして堀の外に出たところで「夢二郷土美術館」を見つけて入りました。その展示で夢二の最初の妻たまきが富山県高岡市の出身だとありました。今回はそのことを確かめたいという意味もあって行きました。展示された作品は福田美術館(京都市)所蔵の作品でした。撮影許可が出ていたのでちょっと暗いですが撮ってきました。

いわゆる「夢二式美人」が中心ですが、可憐な女性像は独特で、一目見て夢二と分かる作品です。

 

 

これは夢二作詞の歌の楽譜などの表紙絵です。

 

 

 

この絵などを見ていると、そこに書かれた筆の跡に惹かれます。

これは夢二の手紙ですが、この時代の人々は素晴らしい筆跡を残しているんだと思いました。

私もいつか書の練習もしてみたいと思ってきました。姉の遺品の中からいただいてきた道具もあるのですが、まだ手が付きません。いつになることか。

今やボーッと過ごす時間のいかに多いことか。

この記事も下書きに何度も仕舞ってきました。今日はなんとか書き終わりそうです。

これは2面の屏風で、確かアメリカで描かれた作品です。

 

これはペン画です。

 

夢二の最初の妻たまきさんの絵が見つからず、案内の方に聞いたところ「1枚ありますよ」とのこと。それがこの『寝顔』という作品でした。作品の説明に下の写真のように書かれていました。2年で協議離婚したそうですが、その後も関係は続き、なんと次男・三男は離婚後の誕生です。

たまきさんの本名は岸他万喜、金沢出身で高岡に親戚があったため高岡との関係も深かったようです。彼女は夢二の絵を売り出すため大変貢献した人でしょう。病気の夢二を信州に見舞ったり、生涯にわたって彼を慕い続けた人のようです。

夢二にとっても妻と呼べる人は彼女だけで、未練たっぷりだったようです。

 

美人画、詩、音楽、デザインなど多岐な活躍をして、大正時代を彩った竹久夢二でした。

 

GWは、農家にとっては田植えの準備期、田に水が入り蛙の合唱が聞こえ、もう早苗が並ぶ季節になりました。