2024年4月22日(月)

定家が古今和歌集の短歌についてどんな注釈を与えていたか分かりませんが、私は、想像力が追いつかず四苦八苦しながらですが、永井さんの歌に感じたままを書いてゆきます。

 

 永井陽子『モーツァルトの電話帳』㊲

 

 長き首抱きたかりしを白鳥が去りたるのちの空のうすべに

 

 “去りたるのちの空のうすべに”ということは、白鳥が飛び 

 去ったあとに薄紅色の印象を残していった、ということだ

 ろうか。あるいは薄紅色の夕日なのだろうか。

 毎年白鳥を見ているけれど、私たちには首を抱くという発

 想は生まれてこない。以前詠まれた歌には白鳥を食べてい

 たという昔の話があったが。

 どうも即物的になってすみません。

 

 夏雲が城下に置きてゆきしもの

       寄り添ひ堀に浮きゐるSWAN

 

 夏雲のもとにいるSWANということは、北の国に帰らなか

 ったのですね。でも2羽が寄り添っているんだ。相棒がいて

 よかった。

 

 

 夏空のほとほとかたき群青も食ひつくすべし鵯(ヒヨ)の悪食

 

 鵯の食事を調べると、「果実や花の蜜を食べる。繁殖期に

 は果実に加え昆虫類も多く捕食する一方、非繁殖期の餌は

 果実(センダンイイギリカキヘクソカズラなど)が

 ほとんどである。」とありました。雑食とのことです。

 こんなことをご存じの永井さんはすごい!

 群青の空は堅いんですね。それをも食い尽くせ、との仰せ

 です。