3月23日、今日は、われら高齢者の集まり、ゆったりカフェの日。 参加者それぞれが気に入った内容の報告をできる場です。

多くはこの地の歴史について報告する人が多いのですが、お手製の音響装置を持ち込んで、公民館での音楽会もありました。

 

以前に、『献灯使』の話をちょっと出したときに、報告してほしいと言われ引き受けました。 ところがいざ手がけてみると読んでいる人がいない場で紹介することは難しく、やはりこの小説の雰囲気を伝えながら紹介するには、この著者多和田葉子の描きっぷりを知らせる必要があり、最初から紹介に必要な部分を抜粋してみようとしました。

 

ところがこれが厄介なこと。 『献灯使』一冊を読み直し、必要な部分を入力するのは時間が掛かる。 読むだけでも、視力が落ち視野が狭くなっている私には時間が掛かる。

已むなく途中まででやめて、あとはテーマだけを並べてA4、5ページのレジュメとしました。

 

これを元に今日は報告し、やっと多和田葉子の面白さ、『献灯使』の面白さを伝えました。 なんとか成功したかと思います。

 

とにかく次々と作者の想像力が生み出していく状況を、なぜそうなるの? なぜそんなことを思いつくの? と疑問に感じ、自分なりの答えを見つけ出していく。 

。 あるいは作者が描く未来のディストピアが、地震が引き起こす地殻変動、重なる原発事故がもたらす環境汚染・遺伝子異常や突然変異、鎖国を現実化したコロナウィルスの感染対策、Abe忖度政治の民営化政府、温暖化や気候変動、環境ホルモンなどによる性の転換あるいは変身など。 そんな言葉は全く書かれていないにもかかわらず、 背景にあるものを読むものとして想像力をたくましくして、この小説の予言的な読み方を楽しむ。

また言葉遊びも楽しく読める。

 

そんな楽しみと重要な意味をを伝えられたように思います。

 

なお、文庫本に収録されている短編小説「韋駄天どこまでも」「不死の島」「彼岸」「動物たちのバベル」もまとめて『献灯使』としての意味を持っていることも触れておきました。