このところ一日おきに火、木、土、月とテニス。
今日はテニススクールのGWイベントで、“コーチに挑戦、ゲーム大会”に参加。
コーチ二人と、生徒8人で、代わりばんこにゲームを楽しむ。
ただし生徒は夜間に来ている人が多く、まったく初対面の人ばかり。しかも若い。
スピードやスピンに怖じ気づく。
でもゲームが始まってしまえば必死について行くしかない。
ダブルスなので、コーチと組んだ時には勝つこともできる。
まあ、年齢も加味して相手してくれました。
3時間、交替で楽しむ。腰から背中に心地よい疲れ。
さて、書いておきたいと思いながらなかなか手に付かず、遅まきながら読書の感想を。
一つは、新聞の批評を読んで、奈良時代を舞台とした小説というので、いったいどう書かれているのだろうかと思い、読み始めました。澤田瞳子著『火定(かじょう)』です。
読みながら知ったことですが、直木賞の候補作品となっていました。
しかし読み進めるにつれ、なぜこの小説が候補に挙がったのだろうかと不思議に思われてくる。
お話は737年の都・寧楽(なら)、新羅から帰った遣新羅使が疫病に罹患して帰り、それが人々に次々に感染して、都に危機がやってくる。京内でその治療に当たったのが施薬院。これは光明皇后によって設立された施設で、同時に孤児や飢人の救済施設・悲田院も設立されており、20数名の孤児たちが収容されていた。
施薬院の医師やここに務める官人の病魔との闘いが主題であるが、どうも、理屈に合わないヨーーーと思うところが何カ所か出てくる。
☆まず奈良時代という設定は、固有名詞-名前、地名、官職名など-にしか感じられない。それを除けば、時代感覚は全く感じられない。がっかりした。
☆登場人物に魅力がない。著者は『赤ひげ』にはしたくなかったのかも知れない。
主人公である赴任してきたばかりの若い官人は、出世街道ではない施薬院から一刻も早く抜け出たいと思っている。その眼を通して周囲の人々を描く時、その人々を魅力ある存在として描くことは難しくなる。医師とは言っても、みんなねたみ、そねみ、憎しみを抱えている存在だという。そう書きたければ、その点をもっと描き込んでくれなければ説得力に欠ける。言葉だけでなく、人物像が浮かんでこなければ小説とは言えないだろう。
☆最悪のダメ医師として宮中の典薬寮の医博士・倭池守という人物が登場する。「上の者にへつらい、ことあるごとに下の者を苛める嫌な御仁」だという。
そしてもう一人の男・諸男、彼は典薬寮において自分が処方した薬に間違った名前が書かれていたとして犯罪人とされ、獄につながれた。そして自分を貶めたのは池守だと推測し、恨む。ただし単純な推測が書かれているに過ぎないのです。
ところが可愛そうなのは池守さんだ。名前は出てくるが、彼の言葉は全くなく、何らの弁解もないまま悪いダメ医師と断定されている。そして最後には疫病に罹ってしまうのである。
とにかく私にはちょっと人物像が浮かんでこないのです。
☆どうにも理解できないのは、悲田院の子どもたちが罹患したとして皆が蔵の中に閉じ込められる場面です。まったく治療を受けることもなく、まともな食料も準備されることもなく、20数名の子どもたちが閉じ込められるなんて考えられますか。いたずらっ子はこっそり外に出て、疫病をまき散らしてくるかも知れないから閉じ込めるなんて、到底考えられません。
施薬院にはおそらく数百人の患者が居て、それなりの治療が試みられているのに、子どもだから無駄だというなんて。
☆施薬院では結局『備急千金要方』という漢方の書籍に従って治療法を発見し、疫病から逃れる術を知ることになるのだが、この書籍の発見の仕方が奇妙と思わざるをえないのです。
諸男は、幸いにも天皇による恩赦で獄から解放され、その上、中務卿・藤原房前が面白い男がいるとして家士として雇ってくれた。最初の患者が現れた時、彼は患者を自室に連れて行き治療しようとする。ところがその患者は亡くなり、諸男自身は藤原家から追い出され、さらに主人の房前さえも疫病のために亡くなる。
ところがこの書籍は、諸男が治療しようとしていたという情報だけによって、主人公たちが諸男が居た部屋を探索して発見することになっている。諸男の治療が効果があったから、というのではない。彼の治療は効果がなくて、主人さえも命を落としているのに、どうして諸男の部屋を探すという発想が出てくるのか。どうも辻褄が合わないし、そこでこの書籍が発見できることも、あまりにも杜撰な推理である。
☆若い主人公は、夜、悲田院の子どもたちの遺骸を叺(かます)に入れて荷車に乗せ、秋篠川の土手に運び弔おうとする。しかし20名を超える子どもたちの腐乱した遺骸、それを一人で叺に入れて運ぶなんてことができるのだろうか。
かって藤沢周平の『蝉しぐれ』が映画化された時、主人公が、自害させられた父親の遺骸を大八車に乗せて筵を掛け、家まで運ぶ場面があった。ちょっとした坂を登ろうとして苦労し、幼なじみの女の子が手伝ってくれる。
「荷車」がどんな物か分からないが、まず叺の数も一つや二つではないだろう、いや、著者は“叺”という物をご存じだったのだろうか。どうも解って書かれているように思えないのだが。
どうも理解できないところを書き連ねましたが、これが直木賞候補とは呆れるのだが。
『散り椿』は映画化され、近々上映の予定。
葉室麟さんは昨年亡くなりましたが、この映画は木村大作監督の作品。
小説は面白い。時代小説だが、恋心、ミステリー性、人間関係、藩政をめぐる葛藤、楽しく読みました。
映画に期待したい。
