やっと矢野久美子著『ハンナ・アーレント』を読み終えました。
要約するのは難しいですが、若干触れてみると、
1906年ドイツにユダヤ人として生まれ、ハイデガー、ヤスパースという当時のドイツ哲学界の重鎮の下で学ぶ。ハイデガーとは不倫関係にも。
1932年国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)、第一党に。
1933年ヒットラーが政権に。
ベルリン国会議事堂放火炎上事件を理由に、全権委任法成立。
(国会の承認や批准なしに立法や条約を成立させる。なんとなく安倍政権の解釈改憲も似ているようだが・・・)
ユダヤ人や反体制派を公務員職から排除する職業官吏再建法。
ハイデガー、ナチ党入党。フライブルグ大学総長に就任。
ナチへ迎合していく知識人たち、友人たち。この傾向こそ全体主義を生み育てていく。
アーレント、一旦逮捕されるが、運良く出獄し、母と共にパリに亡命。
先に出国していた夫ギュンター・アンダースと再会。
そこでは、ベルトルト・ブレヒト、アルノルト・ツヴァイク、ヴァルター・ベンヤミン、レーモン・アロン、ジャン・ポール・サルトル、ジョルジュ・バタイユ、モーリス・メルロ・ポンティ、ジャック・ラカン、・・・・と交流。
36年、アンダースがアメリカに去り、その後、生涯の対話の相手・精神的な故郷とも言えるハインリッヒ・ブリュッヒャーと会う。
ユダヤ人支援活動に従事。
41年、アメリカへ亡命。
戦後、51年『全体主義の起源』
58年『人間の条件』
61年『過去と未来の間』
63年『イェルサレムのアイヒマン』『革命について』
68年『暗い時代の人々』
72年『暴力について』
1975年12月4日、ニューヨークの自宅で心臓発作により死去。
アーレントにとって最大の問題は、ヒットラーのナチスとスターリンのソ連に現れた全体主義だった。それと同時に、民族や階級ではなく「ひとりひとり」と彼女が言う人間そのものの追求だったのだろう。時代の中に置かれた人間。
これはどうしても要約ではすまなくて、まず『人間の条件』から読んでみようかと思う。