昨日見た映画『それでも夜は明ける』。

スティーヴ・マックィーン監督、アカデミー賞作品賞受賞作。


19世紀中頃、奴隷制の下にあっても、何らかの特技を持つ黒人は、自由黒人として生きることができたという。しかし、この原作者ソロモン・ノーサップは、バイオリン奏者として呼ばれていった先で誘拐され、名前もプラットと呼ばれ、12年の間奴隷として過酷な生活を経験した。

その体験を書き残したという。


映画は、奴隷の身分から友人たちの手で救出されて、妻と子どもたちのもとへ帰り着いて終わる。テロップで、その後彼は奴隷解放のために尽力したと伝える。


しかし、私にはどうも後味がすっきりしなかった。


劇中、主人エップスから性的暴力を受け、サディスティックな虐待を受けていた女性パッツーがいる。彼女は、ある日プラットに「私を川の水に押さえ込んでいてほしい。今、神に召されることが神の意志です。でも自分ではどうしても死ねないから、お願いだ」と頼む。しかしプラットは、できないと答える。


プラットことソロモン・ノーサップが友人の車に乗って農場を去ろうとしたとき、そのパッツーが追いすがろうとし、主人エップスに掴まえられながら、必死にもがいていた。彼女のその後は分からない。


観ているものには、ノーサップだけが救われればそれでいいのか、という疑問を残す。


その疑問がなかなか消えないのは、この映画では白人による荒々しい鞭打ちや首つりなどの虐待行為がたびたび描かれていること、それに反して、黒人たちの日常生活にあったと思われる共同性が全く描かれていないことが原因のように思う。


なんとなく厚み、深みを感じさせない映画でした。


救出されたあとのノーサップによる奴隷解放運動が描かれておれば、受け取り方も違っていただろうが。


パッツィーを演じたルピタ・ニョンゴは助演女優賞を獲得した。


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