きょうはBSで水上勉原作、内田叶夢監督の『饑餓海峡』(S40)を見ました。

三國連太郎、左幸子、伴淳三郎、高倉健、藤田進、三井弘次、加藤嘉、沢村貞子ら、往年の名優たちが出演していました。


モノクロ画面でおよそ3時間10分、緊張感のある引き締まった映像、一人ひとりの人物像の明確さ、深さ。引き込まれる映画でした。


S22年9月20日、10号台風によって青函連絡船層雲丸が転覆遭難する。

時を同じくして岩内で火事が発生、焼け跡から死体が発見され、大金がなくなっていることが推測された。そしてその直前に刑務所から仮出所した二人の男の仕業と推測された。


しかしその後の足取りでは3人の男が同宿しており、宿帳に偽名で記帳があった。駅で切符を買ってきてくれと頼まれて、ひょんなことから同行することになった6尺くらいの大男がいた。それが三國連太郎演ずる主人公。

逃亡中に会った大湊の娼妓千鶴(本名ヤエ・左幸子)に金を残し、行方をくらます。


追いかけるのは、函館の刑事(伴淳三郎)。

層雲丸の乗船者名簿と比べると、引き取られていった死者のほかに、引き取り手のない2人の死体があった。それは仮出所した二人で眉間に傷があった。

となれば、大男こそが犯人。刑事は恐山、大湊と辿り、ヤエに会う。ヤエは自分に金を残してチャンスをくれた男については嘘を言い、その後友達を頼って上京する。だが友達とは会えず、結局娼婦としての生活に入っていく。


ヤエは大切なものを持っていた。男がくれた金の残金を包んだ新聞紙、それに男の爪である。あの日、彼女の膝枕で爪を切ったのだ。


ある日、赤線廃止が報じられたころ、新聞紙上で男の写真を見つけた。

樽見という名で慈善事業に大金を寄贈したという記事である。

彼女は、お礼が言いたいとの思いで舞鶴に訪ねていく。


彼は当然、あなたを知らないという。

10年前の北海道での出来事は全く思い出したくないこと。

たとえ髭ぼうぼうで国民服のみすぼらしい姿の自分に、親切に相手をしてくれた彼女であっても。


当てもなく食うものもないときに、突然切符を買ってきてくれと頼まれ、汽車に飛び乗って同行することになった二人の悪人。仲間争いから逆転して自分が生き残り、大金を手にした。それが元になって、今や社長としての地位があり、慈善家として信望も得た。


その時雨が降り出し、開けられていた窓を閉めようと彼が起ち上がると、稲光と共に雷鳴がとどろく。あの大湊の宿でヤエと共にしていたときと同じように。


そしてヤエは、彼の伸ばされた手の指に、忘れることのない傷跡があることに気付く。驚喜して彼に飛びつくヤエ。もつれ合う二人。そしてヤエの首に手を掛ける男。

さらに彼女の死体を見た使用人にも手を掛け、二人を心中したかのようにして捨てる。


舞鶴の警察は樽見に疑いを抱き、ヤエの持ち物から確信する。ヤエの父親の話から函館署の刑事(すでに退職していた)と連絡がつき、刑事が舞鶴にやってきて取り調べに立ち会う。


男は最後に北海道に行くことを求める。そして連絡船で護送中・・・。


映画は、終戦直後の多くの時代背景を見せつつ物語を進めている。それは丹念な映画作りで、『饑餓海峡』と言う題名にふさわしい時代を描こうとしている。映画が単なる謎解きに楽しみを感ずるものではなく、人と社会を描くものとなっている。


先日、上映室を間違えて見てしまった『白ゆき姫殺人事件』は、なんともお粗末だった。何でこんな殺人が起こるんだろうか、と思うほどに単純で、幼稚で、謎解きだって途中で犯人は分かってしまう。原作はどうか分からないが、映画はお金を掛けて作る意味があったのか、と疑問になってしまう。


日本映画は、残念ながらどうも骨がなくなっているように思う。


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