脳髄が困っている状態も、この間のブログ・スランプの原因でした。


一昨年7月に『宇宙卵を抱く』シンポジウムに参加しました。

これは学生時代に同じサークルに所属していた面々が、50年を経て今一度旧交を温め、同時に21世紀思想の最先端に立ってみようという大層な目的を持った集まりでした。


そんな場所に立つことは所詮無理、旧交を温めることを目的に参加したのでした。


ところが先端に立つ面々からメール通信が来るようになり、シンポの続きがやってくる。でもちっとも乗ってゆくことができない。


そうしていたら映画『ハンナ・アーレント』がやってきた。彼女もまさに最先端を引っ張っていった一人であり、“続き”に登場する一人だ。


それで“続き”に登場する思想家の一人ジョルジョ・アガンベンの『到来する共同体』を買ってみた。要するに、来たるべき共同体の姿を構想しているのなら私にも少しは分かるだろうと思ったからです。


ところがこのアガンベンというイタリア人の翻訳された文章は、歯が立たないのではなくて、ふわふわして形が無く、一つひとつの言葉は解るけれど全く味がしないのです。本自体は新書版150頁の薄いものなのに、著者の永年に渡る思考のエキスが集大成されて書かれたもののようで、その歩みを知らずに手にしても、理解不能なのはやむを得ないもののようです。

30頁ばかり読んで中止。


そうしていたら『ネグリ、日本と向き合う』という、これもイタリア人アントニオ・ネグリが、3・11以来の日本の現状に向き合うという本に出会った。

外国人思想家が日本に対してどんなことを語るのだろうかと、惹きつけられた。


この本では、ネグリを日本に招き、日本人研究者とシンポジウムを開催したり、彼の思想に対して日本人研究者がどう反応しているかが内容になっている。ネグリの文章だけではやはり味わうことができなかったでしょうが、この本には、日本人研究者の面々の文章もあり、お蔭で自分なりに理解できる部分もありました。


そしてさらに、新聞広告に『ハンナ・アーレント』矢野久美子著を見つけてしまった。アーレントご本人の大著にはちょっと手が出ないが、これならと、また買ってしまった。

       

こうして今や、自ら脳髄の危機を招いてしまったのです。

図書館でスピノザも借りてきたけれど、一旦返しました。


ああ、この危機を通り抜けることができるか、シンちゃんの真価が問われている。いや、逃げた方がいいかもしれない。どうなることか?????


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