天城池田氏墓所、天城陣屋跡(藤戸町ぶらり⑧) | 倉敷ぶらり

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遍照院を出て、角を左に曲がり、ゆるい坂を上がると左手に天城高校が見えてきます。
 

 



天城高校南門の脇の坂を上がります。

 



お墓が見えてきました。

 

 

 



天城池田家のお墓が並んでいます。

 

 

 



この丘、通称、お櫻山というらしい。

「【天城池田家墓所】天城のお櫻山という小高い丘に、天城池田家の墓が並ぶ。慶長14年(1609年)に下津井城を預かった池田由を初代に数えると、昭和元年の年末に没した政佑まで12代となる。代々岡山に居住し、分家各で厚遇され、本藩の施政を助けた。明治以降は男爵に列した。」(くらしきまち歩きさと歩きマップより)

 



天城高校東門を過ぎて、右側に天城高校サブグラウンドに上がる坂道があります。

 



坂道を上がります。

 



少し上がるとすぐにグラウンドのネット見えてきます。

 



その右手前に天城陣屋跡(お茶屋跡)と石碑があります。

 



初代池田由之は、児島郡で3万2千石と下津井城を領しますがが、寛永16年(1639年)の一国一城令によって廃城となったため、当時城主であった2代由成により天城陣屋を築いたそうです。天城陣屋は江戸幕府をはばかり、「お茶屋」と称されたそうです。

「【お茶屋跡(天城陣屋跡)】幕府を憚りお茶屋と称したが、実質は陣屋であり、支藩の格式を持っていた。初代由之が児島郡で3万2千石と下津井城を預かるが、寛永16年(1639年)下津井城破却ご、天城で政庁を開き、家臣を居住させた。その意味で天城は城下町でもあった。」(くらしきまち歩きさと歩きマップより)

天城高校のHPによると、このグラウンドは野球部専用に使われており、お茶屋グラウンドと呼ばれているようです。