先週の日曜日(5月14日)のことですが、念願の「軍艦島上陸」ツアーに参加しました。
博多駅を出発後、一路長崎市内へ
長崎新地中華街前でバスを降りて 約1時間半自由行動
昼食も個人にて 中華街をちょっと外れたこのお店で
マグロサイコロステーキ定食
その後 集合時間まで周辺を散策
ながさき出島道路 オランダ坂トンネル 約2500m
出島ワークのオシャレなお店
港に2隻のクルーズ船を発見 どちらの船でいくのかな?
1930年から1987年までは 長崎駅から長崎港駅まで線路があった
土木学会選選奨土木遺産 「出島橋」
「出島」の模型
「出島」全景
乗る船はこれでした ブラックダイヤモンド号
稲佐山がくっきりと見られる良い天気です
三菱重工長崎造船所にある 明治日本の産業遺産
「ジャイアントカンチレバークレーン」 高さ62m アームの長さ75m
イージス艦も停泊
「女神大橋」下を通過
リゾートアイランド 「伊王島」
炭鉱の島 「高島」に上陸
石炭資料館で 炭鉱や軍艦島の説明を聴く
坑内斜坑用人車 坑内給水車
2t炭車 坑内バッテリー機関車
軍艦島の模型 南西側
上陸して見学出来るのは このエリア
南から北方向
北側 病院や小中学校や鉱員社宅や鉱員独身寮
西側 鉱員社宅(日給用)や購買や共同浴場
西側 映画館や寺院や公民館
南西側 30号棟・31号棟アパート 下請鉱員社宅や地下共同浴場や職員社宅
1916年(大正5年)に建てられた30号アパートは 日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパート
南側 これから上陸して見学出来るエリア
高島出港後 世界遺産「軍艦島(正式名:端島)」が見えてきた
長崎港から 南西に19km 約63,000m2
南東側 中央に神社 右に小中学校
南東側 左下に貯炭ベルトコンベアー 右上に幹部用職員社宅
東側 小中学校
北西側全景 海上からでないとこの風景は見られない
南西側全景 海上からでないとこの風景は見られない
島のほぼ中央高台にある端島神社 現在は祠のみ
西側全景 海上からでないとこの風景は見られない
軍艦らしく見えるポイントで停船して 撮影タイム
西側から見た 軍艦島全景
南側 全景
南東側 全景
いよいよ接岸ですが 「上陸」には厳しい条件がある
1、波高が0.5m以下であること
2、風速が5m以下であること
3、視程が500m以上であること
4、ガイドが一人以上配置されていること
5、上陸制限時間は50分以内であること
過去のデータでは、年間平均上陸可能日数は「100日」
5社の船会社が 各々午前便と午後便を運行し 接岸は1隻ずつ
前の船が接岸出来ても 次の船の接岸まで 約1時間あり その間に条件が悪くなり 接岸出来ないこともある
そしてこの時の波高は 0.47m それ以外の条件もクリアで「無事上陸」
正面の壁は 当初の島の形 以後昭和6年までに6回拡張されている
北東方向を見る
左は小中学校 右は貯炭ベルトコンベアーの柱
島の全景写真
桟橋方向 護岸が崩れている
精炭されなかった硬(ボタ)は、当初南東側の桟橋方向の海に投棄されていたが、船が接岸出来なくなるので
島の中央に穴を開け 西側の海にベルトコンベアーにて投棄した
今塞がっているこの穴が入口
ボタ投棄用ベルトコンベアーの出口は なんと 31号棟アパートを貫通
左から2番目の3階部分 大きく口が開いている部屋
第二竪抗入坑桟橋
坑内に入る人は皆 点呼を受けてここから入坑した
総合事務所
総合事務所のトイレ
貯水槽と 肥前端島灯台(閉鉱後に建造)
南端から北側を見る
プール(海水を使用)
30号棟アパート (下請鉱員社宅)
中央の崩れは 今年 崩落した
貯水槽と 肥前端島灯台(閉鉱後に建造)
石炭と赤土を混ぜ合わせた 「天川(あまかわ)」と呼ぶ接着剤を用いた石積み工法で 護岸が形成されている
約6.5kmの海底水道の取水口
仕事を終え 地上に揚がってきた鉱員達が 住居に帰るときの通路
小中学校 7階建
65号棟 鉱員社宅 10階建
3号棟 幹部職員用社宅 風呂付
見晴らしの良い高台に建っている
上陸制限時間となり乗船
「天川」工法で 擁壁が形成され 現在もしっかりと護岸の役目を果たしている
中央に 海底水道の取水口
離岸 南側全景
離岸 西側全景
全盛期には 約5300人が暮らしていた端島
1974年1月に閉山し 同年4月に「無人島」となった
2015年「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録