記念日 | 福岡ロハスのブログ

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ロハスな目線で見た、「福岡の今」をご紹介します。

12月8日

大東亜戦争の開戦の記念日。
911と同じく、仕組まれたイベントの日

ワナにかけようとする外国勢に加えて、国内ではワナにかかろうとする勢力がいた。
この内側と外側の2つの勢力で、日本は戦争にし向かれたわけである。


そして、
その後も、大本営発表で国民は踊らされ、タダの駒として使われるだけであった。


この国の支配者階級、政治家、マスコミ、権力者の大多数は、
大昔から既得権益を守ることだけを目的に、脈々と組織を固めてきたわけだ。


それは組織としては、ある意味アタリマエのことであろう。
個人的な周りの小さな組織でもありうることである。


それでも、
まだそれぞれの組織の構成員に倫理観なり、使命感、正義感が、組織として醸成・維持されていれば、国民もある程度、安心して恩恵を受けることが出来たわけだ。

しかしながら、
権力組織の内部に倫理観が無くなってしまうと、それは暴走する。
個人の慾望を満足させるための組織となる。

必要な予算も内部的な情報もそこに集中するからである。
いくらでも利用できる立場だからである

高速道路などの公共計画の情報も、いち早く入手できる立場ならば、事前にその土地を購入することもできよう。
企業の動きなどが、申請書類を見ればわかるのだから、株の取引にも使えるだろう

どの組織でも、そうやって私腹を肥やしてきた奴はいる。

これまで、大きく問題にならなかったのは、まだ一部の奴等がやっていただけだから、
それば、まだ、多くの組織員の倫理観が保たれていたからであろう。

しかし、もうそんなものは無くなってしまったようだ。
隣のやつが、美味しいことをしているならば、オレもやってみたい。
そこには倫理観などは存在しない。

役人になるためには倫理観は必要ないのだ。
頭でっかちであれば良い。
倫理観のテストなど無いのだ。


それは社会が暗黙のうちに保つべき、
見えない文化のシバリが、倫理観を醸成していたといえよう。

しかし、文化は壊されている。
共同体の意識が薄れれば、他人は他人。
そうなれば、もう自分のことしか考えない奴等ばかりになる。

与える側から、奪う側に回ってしまうのだ。

役所には、無尽蔵に奪うものがある。
そうやって、役人は、人知れず全てを奪う側に回る。

しかも、全ての責任を取る必要もない組織
誰の責任でもない組織。

一般企業ではなかなかなりにくいが、ワンマン社長の組織ではありうる。
しかし、公共の組織では、簡単にやりたい放題の組織になりうるのだ。


まだ、完全に崩壊しているわけではない。
崩壊している自治体もあろう。
落ちぶれる可能性があるのは自治体だけでなく、公共機関すべてだ。

まだ、個人の倫理観で保っている部署もあろう



なびかないこと。


それを見張るのが市民である。
そんなことをさせてはいけない。


奴等は権力を持っているのだ、

その力は、とてつもなく大きい。
その力を、市民に向けてはいけない。

向けさせてはいけない。


阿久根市の戦いは、その力を市民に向けた例だ。
己の地位を保全するために、力を使って、外にキバをむいた。
そうなってはならない。


昔も今も、国民は駒である。

戦後66年、かろうじて戦火を逃れてきたが、
戦争を知っている世代がみんないなくなる頃、
戦争をやりたがる奴等が蠢きはじめる。


それを阻止しなければならない。

権力者側に立つのではなく、市民の側に立つ組織がなければならない。
戦時には、権力者側の組織は、ただの死刑執行人になるだけだから。
赤紙を持って来るのだ。
死神になるのだ。


そうやって多くの国民を、戦場に送る組織に成り果てる。


戦争が、また仕組まれようとしている。

経済を動かすには、スクラップ&ビルド。

一度この世界を壊せばいいわけだ。
更に人口が減れば、なお嬉しい。

それには戦争が一番

そう思って、計画を練って、いまか今かとタイミングを見ている奴等がいる。



金で心を失った人たち。
大切な物を見失っている人たち


そんな社会を、一撃で逆転できる方法?


自分で見つけて、そしてそれを育ててくれ


個人が目覚めるしか、この世界は変わらない。


自分の人生の主役は自分であると同時に、
この世界の主役も自分なのだ。

他人任せでは、ただの操り人形。


自分がこの世界をどうしたいのか、どう生きたいのか。

自分の行動からしか、変わるまい。




世界はそうやってできていると思う。