保利耕輔先生のご訃報に接して一夜明けても、心に大きな穴があいた状況が続いています。
2003年に初めての選挙で敗れたあと、政策の知識が足りないと感じた私は、保利耕輔先生に相談しました。党の会議は議員や秘書しか参加できないため、保利先生の秘書の名刺をいただき、たまに上京した際に、勉強する機会をいただきました。
2005年に初当選したあとは、若手数人を集めて保利先生との勉強会を定期的に開催していただきました。そこでは、これまでさまざまな意思決定がどのようになされたか、どのようなことに留意すべきかといったことを、実体験を基に教えていただきました。
政策となった結果についての資料は容易に手に入りますが、その背景やプロセスなどについて、テーマごとに教えていただいたことは、その後の私の政治生活に大きな影響がありました。
2009年に衆議院選挙に落選後、私は自民党佐賀県連会長を拝命し、保利先生にも折に触れてご相談に行きました。その際、保利先生は「福岡くんはどう思う?」と聞かれ、私が考えを述べると、しばらく考えられたあとでいつも「分かりました」とおっしゃっていただきました。
その中には、表情から納得されていないケースも多々あったと思います。
当時30代で、保利先生からすると息子のような歳の差があっても、県連組織を預かる人間の意見を尊重していただき、本当に有り難かったです。
あの時、別の選択肢をとっていればという仮定の話は分かりませんが、保利先生が渋い顔をされた場合には、必ずしもうまくいかないケースが多かったことを考えると、そのような形で教育をしていただいたのだと思います。
その答えは、今後もずっと背負いながら自問していくことになるのでしょう。
折しも、8年ぶりに県連会長を拝命して、今後の方向性についてご相談したいことが山ほどあっただけに、お亡くなりになられたこと本当に無念でなりません。
自分で保利学校の出来の悪い門下生を勝手に自認していましたから、少しでもそのご恩に報いられるよう、さまざまな課題に全力で取り組みたいと思います。
写真は、保利先生に書いていただいた書で、佐賀の事務所に飾ってあります。
保利茂先生、保利耕輔先生とも、「百術は一誠に如かず」という書をよく書かれています。
術を張り巡らせても、一つの誠実さに及ばないというこの意味そのものを、保利先生は政治活動で体現されました。私もいつも胸に刻んで活動していきます。
心からお悔やみ申し上げます。本当にありがとうございました。合掌。
唐津市で行われた衆議院第二選挙区親睦ボーリング大会の開会式でご挨拶ならびに始球式をさせていただきました。
亀川義人さんの瑞宝双光章受章祝賀会に出席して祝辞を述べさせていただきました。大町町の消防団長を務められるなど、多年にわたり消防を通じて地域にご貢献いただいたことに対するものです。心から敬意を表すとともに、お喜び申し上げます。
夜は、有志で私を囲む会を開催していただきました。