フレディ・マーキュリーが愛した日本と文化@栗田美術館 | だらだらするのがすごく好き

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東京から那須塩原市に移住した高年主婦のだらだらした日々
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日本でのフレディ聖地の一つとなった、足利市にある栗田美術館。

今回もフレディとのコラボイベントが開催されておりました。

 

トークイベントの会場となる陶磁会館入口で、

等身大のフレディがお出迎え。

 

この日お話くださったのは、写真家の浅沼ワタルさん(右)とクイーン研究家の石角隆行さんです。

今回は日本でのデビュー間もない、『オペラ座の夜』から『華麗なるレース』の頃の写真を交えての貴重なお話の数々でした。

 

75年7月、リッジファームでの最初の取材で『オペラ座の夜』のレコーディング・リハーサル最中にほぼ1日時間を割いてくれたそうです。当時は『キラー・クイーン』のヒット後とは言え、イギリスの音楽シーンでまだまだキワモノ扱いをされていました。直前の4月来日公演では熱狂的な歓待を受け、日本のメディアに対しては破格に友好的だったんだって。

 

ブライアンのシャワー後の濡れたままのカーリーヘアとか、フレディとメアリーのテニスとか、ロジャーがゴーグルを手におどけている姿とか、初々しいプライベートショットが微笑ましいです。

 

このML9月号の表紙を飾る写真もこの時撮られたものだそうです。

ちなみにメンバーが手に持っているお面は日本から持参したもの。

 

浅沼さんは当時ロンドン在住で、この後ブライアンから直接電話で撮影に誘われたり、個人的に遊びに行ったりもしたんだって。あの悪名高きトライデント・プロダクションから独立した直後で、マネージメントが不在だったせいもありますが、のんびりした時代だったんですね。

 

75年11月は、エルスツリー・スタジオにて、あの、『ボヘミアン・ラプソディ』のビデオ(当時はフィルム)

撮りにも同席したそうです。こちらもこの映像を別角度から捉えた貴重な写真を見せてくださいました。最後にドラを叩く上半身裸のロジャーは金粉塗りとのこと。

 

『オペラ座の夜』完成パーティでは、トライデントのシェフィールド社長も呼ばれましたが、その場で『Death on two legs』(シェフィールド本人をめっちゃくちゃ!ディスった歌)を流すという(笑)

 

このサインの寄せ書きはこの時、ブライアンが回してくれたものだそうです。

 

1976年9月のサマーツアー(エジンバラ、ウェールズ、ロンドン ハイドパーク)は、『華麗なるレース』のレコーディング中に行われました。本来ならば『華麗なるレース』が完成した後のはずだったのですが、ロイ・トーマス・ベーカーがプロデュースを外れまとめ役がいなかったため、レコーディングが伸びたんだそうです。私はてっきり、『オペラ座の夜』と『華麗なるレース』は完全な2部作だと思ってました。だってジャケットもそっくりだし。『華麗なるレース』が完成したのは結局、押しに押して12月5日だそうです。

 

こちらはハイドパークライブの前に発売になったイギリスの音楽紙の表紙ですが、

浅沼さんが知らない間に使われた写真だそうです。この頃になると写真はもう、フォルムを撮り終えたら現像もせずそのままEMIに渡すことになっていました。

 

楽屋ではフレディの後ろにキモノがかけられていました。75年の初来日にフレディはキモノを初めてステージで纏いました。その後海外でもアンコールのキモノが定番になったそうです。

 

『華麗なるレース』のインナージャケットにはメンバー4人の写真がありますが、

左3人は実は浅沼さんが撮られたものだそうです(右端のブライアンは合成)。これも知らない間に使われてたって(笑)。

 

いつもは端正な伊万里焼が展示される場所にフレディ君臨。畳敷きとのマッチングもステキです。

これらも浅沼さんが撮られた写真でしょうか。下にあるエピソードがそれぞれ楽しい。1979年の「JAZZ TOUR」では日本公演は15公演、なんと1ヶ月にも及んだそうです。このあたりからフレディのファッションがガラっと変わったんだね。当時のいたいけな私がついて行けなくなったのもこの頃…

 

最後の来日となった1986年。

部屋にある大量の荷物は、完成したばかりのロンドンの自宅に飾るため、この来日で買いまくった工芸や陶器などの日本美術品。申告のためのリストを見た人によれば、総額3,000万円は超えていただろうとのことです。部屋でくつろぐフレディの水色ズボンは、何だか見覚えがありますね。

 

庭園内、あちこちにフレディのたどったコースが紹介されていました。

 

奥に見えるのは伊万里大壺などを展示する歴史館。庭木の様子はほぼ当時そのままです。

 

台の向こうに見える四角い枠は、フレディとジム・ハットンが並んで記念写真を撮った場所。

 

ああ、確かにここに来たのね…フレディ。

 

ロジャーは初来日時にホテルの庭で催された野点を振り返って、こんな風に話している。

「あの時、フレディは日本と恋に落ちたんだ。」(館内展示パネルより)

 

フレディは学生時代からすでに、エキゾチックな日本文化に興味を持っていたそうです。

そしてブライアンは最初の来日でカメラを物色し、その時に購入したセイコーの腕時計を今でも愛用。ロジャーは日本のレストランが大好きで、いつも新幹線の中から見るだけの富士山に行きたいそうです。コロナ禍が落ち着いたら、二人にもプライベートでゆっくり日本を楽しんでもらいたいです。