KARAの隠れファン
韓流ブームとかで、おばさん達のようには目立って騒げない。
騒げないけれども、韓国の女性5人グループのKARAが、歌ったり踊ったりおしゃべりしているのを見ていると楽しくなる。
もっとも、韓国語が判らないので何を言っているのか、チンプンカンなのだが。
それでも、投稿動画のユーチューブやニコニコ動画で新しい動画を見つけると嬉しくなる。
最近は、ネットやPCのスペックが向上しているので、画像が驚くほど高画質になってきている。
まるでテレビを見ているような感覚。
日本の歌手ではなく、韓国の歌手に魅了されるのはナゼだろうと、考える事が多くなった。
韓国の歌手といっても、ファンなのはKARAだけであるが。
私は、アンチ韓国派であったが、KARA以降少し考えが変わってきている。
今の韓国大統領も、反日を政治の道具にしないと思うので、好感を持っているが。
少し前の話であるが、韓国は100年たっても日本を追い越せないというような説が、話題となった。
日本人が日本人ということにアグラをかいていると、逆転されてしまう。
実際、すでに逆転現象は多くの分野で始まっていると思う。
8月に日本で本格的にデビューするKARAを、応援したい。
そんなKARAの日本でのマイナス要因は、意外にもKARA公式の日本でのファンクラブかも知れない。
サイトのコンテンツは、会費5500円を払わなければ見られない。
KARAの魅力を広めて仲間を集めようというスタンスではなく、先ずは仲間になれというようにしか見えない。
閉鎖的な村社会の集団のようであることに、私は嫌悪感を持つ。
KARAが日本で活躍する事は、韓国と日本の草の根レベルからの文化交流でもあると思う。
弱冠16歳から22歳の若い女性の存在は大きい。
大きな存在となる可能性の根は、大切に育てて欲しいと思う。
好きと嫌いの判断基準
好きな仕事・好きな趣味・好きなひと・・・好きと嫌いの判断基準は単純です。
時間の感覚が無くなるのが、好き。
時間が長く感じるのが、嫌い。
時間というのは、生きている人間にとって、拘束着のようなもの。
自分は動けるのに、動かせる範囲が制限される。
拘束着というよりは、犬の首輪かもしれない。鎖につながれた・・・。
ということは、時間とは首の鎖か。
時間を感じない=鎖を忘れる=自分の姿が見えない=現実からの遊離=幸福
こういうロジックが成立するならば、やはり・・・人間の心は虚しい。
虚しいだけでは、生きてはいけない。
だからどうなんだと、開き直れるのも人間。
強い人間と、弱い人間の境目はそこにあるのかも知れない。
ボケとは、人間に与えられた生命の最後の砦かもと、思う次第です。
心の無い研修医
義理の弟が肺ガンになった。
弟はそのことを感づいていたようだが、ガン医療の進歩を信じて治療に専念した。
やがて元気になって、長い間頑張って勤めてきた職場にも、復帰する事を励みにして。
家族には、医師から告げられていた。
ガンが転移している事を。
そして、余命の期間もを。
しかし、本人には告げていない。・・・。告げられない。
ある日、検診の時に若い研修医から、ガンが転移している事を、弟は告げられた。
弟は激しい衝撃を受け、泣いたという。
医者の仕事は、壊れた身体を直すこと。とは思っても、全知全能ではないのも理解する。
しかし、医者には、ふんばっている人間の心を壊す権利は無いと思う。
日本には先生と呼ばれる職業が多いけれど、本当の先生は少ない。
私は50年以上生きてきたけれど、心から先生と呼べる先生には逢ったことがない。
これも私の不幸のひとつなのだが・・・。
「カバー研究」誌について
「カバー研究」誌は、昭和42年に創刊された”郵便趣味”の同人誌です。
昭和40年代から50年代は、切手ブームでもありました。
記念切手が発売される日の朝の郵便局の前は、大人も子供も長蛇の列で発売を待ちました。
漫画雑誌には、必ず切手の広告が載ってましたし、当時の人気漫画の「オバケのQ太郎」でも切手をテーマにしたストーリーがありました。
カバー研究誌は、切手を封筒に貼って消印を押した状態がメインの、郵便趣味の会誌です。
内容は、会員等の投稿記事やカバー類の写真。そして、各種の資料です。
編集は佐瀬一夫氏。発行は一夫氏の父、佐瀬清治氏でしたが逝去されたため、38号からは編集発行ともに一夫氏となりました。
佐瀬一夫氏の本職は、盲学校の先生だったと思います。「視覚障害児と遊び」という本も出版されておりました。
当時学生だった私も、同じ趣味ということで誌友となり、カバー研究誌の会員領布を受けていましたが、私の就職と共に、郵趣からは次第に離れてゆき、いつの間にか自然退会となってしまいました。
あれから30~40年たった今、手持ちの会誌を整理してみると、懐かしい名前やカバーに何度も再会します。
しかし残念な事に、号を重ねるごとに、訃報の記事も見つけることとなりますが。
私の少ない手持ちの「カバー研究」ですが、各号の目次と表紙写真を、手放す前に、私のホームページに順次アップしています。
よろしければ、覗いて下さい。懐かしい名前に遭えるかも知れません。
http://busu.qee.jp/cover-kenkyu.html
広告は一切掲載していませんので、ご安心下さい。
なつかしいテレビ番組
テレビ番組のガイド誌、「TVガイド」のお正月版を、むかしは欠かさずに保存していた。
お正月版では、年末年始の2週間分のテレビ番組が収録されている。(通常は1週間分)
今回、昭和56年の年末から、平成7年年始までの、「TVガイド 関西版」14冊(14年分)の表紙を、ホームページに掲載しました。
http://busu.qee.jp/tvguide-kansai.html 広告などは、一切ありません。
表紙のメインは、NHK紅白歌合戦の司会者です。
赤組は全員が旬のタレントさんですが、白組はNHKの人気アナウンサーさん。
でも、途中からどちらもタレントさんとなりました。
今では、総合司会というポジションがありますが、その原形が今回アップした表紙の中に見えます。
表紙中央は、NHK紅白歌合戦の司会者。
左から、西田敏行・松平定知(NHKアナウンサー)・三田佳子
今から、20~30年近く前の芸能界。
森光子も武田鉄矢も和田アキ子も堺正章も、み―んな若かった。
もちろん、私も若かった。