第33回トライアスロンさぎしま大会ファイナル | あきらめなければ 夢100%

あきらめなければ 夢100%

小さな夢から大きな夢までかなえ続けることが志事

『夢は形を変え実現していく』

テツローストーリー
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嫌いだった…トライアスロンさぎしま大会が終わった。
もう出場しなくていいと思うとホッとする…

地元三原市の選手として総合優勝8回。
常に上位が当たり前にした。

若い時は木曜日からホテルに入り市役所勤務と最終調整し集中して当日を迎え島に入る。その『当たり前』をやり遂げることが毎年夏の最大の使命感で生きていた。世界選手権1週間前でもこの大会には出場していた。たかが島おこしのイベントトライアスロンなのに…






毎年出続けたのは当時の三原市の人が、特にさぎしまの人が喜んでくれた。社会が不況の時、選手の定員割れが続いたが、その時期テレビの取材で島のご老人が答えた言葉『あのひとは全力でこの島を盛り上げてくれたよ。大した人よ。』…力になる忘れられない言葉だ。

駆け出しの頃からトライアスロンを人生の軸にし必死だった。JTU日本トライアスロン連合の当時の皆様には言い難いが、日本代表で公費派遣の世界選手権の方がよっぽど気が楽でした。

デビュー戦(卒論研究)で佐木島からトライアスロン人生を踏み出し、市役所職員として税務関係から始まり、その後4年間は地籍調査(国土調査)で島民の皆さんに推進委員になってもらいながら一緒に仕事をさせてもらった。三原市職員として、また三原市代表のトライアスリートとして可愛がってもらってきた。

島の100%近くが私を知り、メイン会場近くの集落にあるふるさと館のトライアスロン記念部屋には私のこれまでの沢山のトロフィーやメダルが飾られ、『優勝が当たり前』が確定。しかしどんなに頑張っても外国人選手たちに勝てない6年間も。30年間でアクシデントを除けば表彰台に立ってきた。

今回、数日前に体調を崩した。気持ちで何とかなると信じたが体はきついばかり、レースにはならず悔しく寂しく申し訳なさでいっぱいだった。


ランではスロージョギングしかできなかったので、返って各エイドステーション(給水所)で30年間のお礼を丁寧にできた。一瞬戸惑う方もすぐに現状を把握され、『地籍席調査ではお世話になりました。』とか、『ずっと出続けてくれてありがとう』など逆お礼されながら1周10キロ最後の挨拶めぐり。今まで一切れしか取れなかったスイカエイドも30年間で1番ゆっくり食べさせて貰った。

フィニッシュ後は、ずっと付き合っていただいていた島の方が、『これに長く付き合ってもらったのぅ…』と近寄ってこられた瞬間、込み上げてしまい嗚咽状態で少し格好悪かったか…これが私の今までの想いです。30年受け入れてくださってありがとうございました。

優勝が当たり前…それを当たり前にしようとするメンタルマインドは本当に苦しくしんどかった。たかがスポーツだが、それぞれの生き方で大切にしているものがあり私にとっては命と同じ。

トライアスロンを引退するときはこの【さぎしま大会】と伝えていた。私が陸上競技に息詰まり、命をどう輝かせようかと暗中模索中に光をくれ、日常をかけ離れた緊張感とワクワク感を与え、大切で大好きでいつまでもあり続けてくれると信じていた【トライアスロンさぎしま大会】

今はまだ大切なものをなくしてしまったような感じだ。

大学卒業論文の研究としてさぎしま大会を選び、一緒に取り組みトライアスロン人生に寄り添って頂いた恩師柳川先生の奥様から先日伝えてもらった遺言…
『テツローは大きな力を身に付けた。その力をたくさんの人のために使ってほしい。』
この言葉が1番意味をなす生き方を考えながら人生を進めたい。