「脳と流行と世代」1977年 | 福盛貴弘の脳炎日記

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日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

いよいよ小学校入学の年となる。

忘れていることは多いが、知ってることも増える。

 

 

 

 

王選手がホームラン世界記録 756号を達成。これは覚えている。試合をテレビで見てたし。幼稚園ぐらいから王選手のファンだったんで。

 

引退後、門田に乗り換えるまでは、一応巨人ファンになるんだが、正確に言うと王ファンで、巨人ファンというほどではなかった。

 

国民栄誉賞第1号はめでたい話。

ただ、何の賞なんやろうと当時から思っていた。

 

カラオケ、テレビゲームブーム。カラオケブームはまだ知らないが、テレビゲームブームにはのっかっていた。

 

自宅にテレビゲームの結構初期のがあったので。

テニス、ホッケー、バレーが大して変わらない操作でできた。

 

白黒テレビ放送が廃止されたが、自宅には1台だけ白黒テレビが残っていた。カラーしか知らないので、逆に白黒が新鮮だった。

 

日本初の静止気象衛星「ひまわり」打ち上げ。ウェザーニュースにのんちゃんやおさやがいるのも、これのおかげ。

 

ロマンチック・スタイルって、何がロマンティックなんやろうか。ジョーク・ファッションも想像がつかない。

 

簡易印刷機プリントゴッコで年賀状を作ったのは、私はもう少し後。スーパーカー消しゴムは確かに流行った。

 

八つ墓村の「たたりじゃー」はそこだけ切り取るとギャグだった。「ダメダ、こりゃ」と変わらないか、それよりおもろい。

 

話がピーマンは今は使う人が減っただろう。

ただ、まだ死語になりきれていない気がしてならない。