「脳と流行と世代」1952年 | 福盛貴弘の脳炎日記

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日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

1年ずつ、気になるとこをちょろっとだけ絡んでいく昭和ノスタルジー。

私が生まれる前の1952年を振り返ることに。

 

 

 

白井義男が日本人初のボクシング世界チャンピオンは、力道山についで、格闘技好きは沸いたんやろうなと。

 

全米ボクシング協会なんだが、世界王者というのがアメリカらしさ全開だが、アメリカに一矢報いたという点で、溜飲が下がった国民は多かったはず。

 

ボーリングは長らくやってないけど、この年に青山にできたのか。

このおかげで、後の律子さんブームにつながるのかと。

 

硬貨式の公衆電話は懐かしい。10円玉の流通と関わりあるんだろう。当時の青は使ったことは無く、私は赤、黄、水色、ピンク、緑を知ってる程度である。

 

透明ビニールレインコートは今も使われている。

トッパ―コートも同様なんだろうけど、どんなものかは分からない。

 

文房具SYC-10って何やろうと思ったら、小型ホッチキスのこと。

クラッカーボールは、最近はあんまり見かけんよなあ。

 

さて、この年の流行語は、割と今も残っている。

エッチは、そう考えると長いよなと思う。

 

プータローはもっと新しい言葉だと思っていたが、思っていたより古かった。フリーターやらニートやらの外来語より、こっちの方が好きである。

 

火炎ビンが流行って、戦後の混乱っぷりがよく分かる。

復興を遂げようという一方で、暴徒も残っていたということだろう。

 

恐妻は死語になることがなさそうな語彙である。

一方で、パンマは今回初めて知ったが、確実に死語である。

 

見てみてみ 聞いてみてみはダイラケの名文句なので、私語扱いではなく、伝統芸能として保存しておきたい。

 

 

1953年につづく。