「寄席とポスターと昔」その33 1962年の道頓堀角座 | 福盛貴弘の脳炎日記

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日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

1962年は昭和37年。

もちろん私は生まれていない。

 

 

 

大大阪時代はとっくの昔に終わっており、東京都は1000万人都市に。

日本のテレビも1000万台を超える。

 

そんな中での1000人規模の演芸場。

当時は花月より客が入っていたと言われている。

 

当時の大阪府は500万人都市。

第2次ベビーブームを引き起こす団塊ジュニアはまだ生まれていない。

 

そんな頃の寄席のポスター。

ホットブラザーズとお浜小浜以外は、リアルタイムで知らない芸人ばかり。

 

ホットブラザーズには、当然のように東六がいる。

そして、レイジがいる。東六の弟子であり、家族ではない。

 

アキラが長男、マコトが次男。

三男のセツオが入るのは、まだ先の話である。

 

レイジのあとに、やはり弟子の洋二が入り、1966年にセツオと交替。

洋二に変わったのは、これより後ということになる。

 

桂小春団治は、2代目露の五郎兵衛。

私には吉本のイメージだが、当時は松竹だったのかと。

 

ただ、落語をしっかり見た記憶はない。

私の世代だとどうしても、仁鶴、三枝、枝雀といったあたりからなので。

 

 

 

 

 

その34につづく。