「脳と漫才と訛り」その2 | 福盛貴弘の脳炎日記

福盛貴弘の脳炎日記

日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

その1では東京で「訛ってる」を聞く機会が増えたこと。

その理由の考察を簡単に書いておいた。

 

近畿は、大阪や京都以外の県を訛ってる扱いするわけではない。

ただし、東京弁嫌いとえせ大阪弁嫌いは相当根深いものがある。[注1]

 

東京で大阪人が嫌われる度合いは昔よりましになったと言われた。
今でも横の客に大阪人は嫌いだと面と向かって言われることはあるが。

 

知らぬ仲で言ってくるのは、今後付き合う必要がない奴なので無視。

知った関係で言ってくるのは、それはそれで抑えられないなので許容。

 

そうしてでも言うということは、顔なじみになっている私はすでに別だからというのが言外で聞こえてくるから。

 

さて、あだんでテレビを見てた時、昭和懐かしの歌謡曲系なら鼻歌交じりで聞き入ってた。ニュースは政治話好きをあしらいながら見てた。

 

しかし、お笑いの話になると、一気に好みが分かれる。

嫌いな人は大きく2種類に分かれる。

 

1つは、芸人というのはくだらないことをやってるから嫌いというタイプ。

これは根本的に感性が違うから、話しても仕方ない。

 

もう1つは、上方芸人、吉本芸人が嫌いというタイプ。

これはどんな笑いが好きかという違いなので、話すともめる。

 

侃々諤々にはならず、喧々囂々で終わってしまうのがオチ。[注2]

生まれ育った土地から離れた方が異文化は理解しやすいのだが。

 

上方漫才が東京に進出しはじめた時も怪訝な顔をされていたんだろう。

それでも方言漫才を押し通したから、今があると言える。

 

 

 

 

 

 

→ 「脳と漫才と訛り」その3

(5日間連続もの)

 

 

 

 

 

[注1]

私は「関西弁」という言い方を好んで使わない。

大きな理由は「関西」の範囲が明確でないからである。

 

大阪だけじゃなく、他も含めてという時には便利な言い方である。

だから、使っている人を批判しているわけではない。

 

単に私の好みの問題として「関西弁」と言わないだけのこと。

もし、私が京都出身なら、大阪弁として記すところが全て京都弁に変わるだけのこと。

 

[注2]

侃々諤々(かんかんがくがく):はばかることなく正論を堂々と主張するさま。また、大いに議論するさま。侃諤。 

喧々囂々(けんけんごうごう):多くの人が銘々勝手に発言してやかましいさま。 

(以上、大辞林第3版)

喧々諤々(けんけんがくがく):両者の混合語。まじめなのか茶化してるのかがよく分からない議論の時に使えばいいと勝手に思っている。