「ファンとあぶさんと私」 | 福盛貴弘の脳炎日記

福盛貴弘の脳炎日記

日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

ネットニュースで感慨深くなる。
『あぶさん』が来年2月で完結。 →オリコン

現役引退の時(2009年)で、実質的には終わっていた。
あの時は、もうスーパースター過ぎた。

2009年、62歳で引退。遅すぎるやろ。なんぼ漫画でも。
しかし、岩田鉄五郎の例があるからなあ。




南海ホークスファンとして、南海の漫画があったことだけでうれしい。
ファンというのはそういうものである。

そして、身売りが決まった1988年。
あぶさんは翌年から福岡ダイエーホークスに行くことになった。


1998年10月15日、大阪球場最終戦。
ライトスタンドに私はいた。

生であぶさんの惜別のホームランを見てみたかった。
グランド照らす太陽の下、白球飛んで虹となっただろうに

あっ。最終戦、ナイターやった。




現実世界では門田博光選手のファンであった。
不惑の40発には憧れた。

門田選手は1979年31歳でアキレス腱断裂。
しかし、その後も長きにわたって活躍された。

私は不惑でインパクトを残せていない。
あこがれのスターとは違う方向で生きているからやっていける。

私が倒れたのは41歳の春。
バカボンのパパと同じ歳の時に。

その後、長きにわたって活躍できるかは私次第である。





ところで、あぶさんこと景浦安武。酒仙であり、代打のスペシャリスト。
1打席に全てをかける職人という設定でスタートした。

80年代後半あたりで代打なのに本塁打王を争うあたりから何かが。
そして、86年には4番レフトとして本塁打王に。  門田の立場が……

90年代になって気づいた時には、三冠王までとってしまった。
まぎれもないスーパースターになってしまった。

そして、「ああ、漫画のすごい人になるんやろうな」と思っていた。
その頃には少し距離を置いてたような気がする。

それでも、今まであぶさんがいた。それでいい。
ファンというのはそういうものである。





改めて、水島新司さん、お疲れ様でした。
連載は完結しても、1年に1回ぐらい特番を書いてください。

あぶさんが死ぬところまで見てみたいんで。
なんなら「ヤングあぶさん」も。島耕作みたいな感じで。

でも、アニメ化だけはやめてもらいたい。
ついでにや実写化やノベライズ化も。

あぶさんは漫画の中にとどめておいてもらいたい。
理由などどうでもいい。ただ、そう思っただけのことである。

ファンというのはそういうものである。






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【追記】
死ぬまでにやってみたいこと、1つ追加。
バットに酒しぶきをしてから、打席に立つ。

フライングクロスチョップよりはできそうな気がする。
こんなことに誰がつきあってくれるかが問題ではあるが。