「脳と言い方と受け手」その2 | 福盛貴弘の脳炎日記

福盛貴弘の脳炎日記

日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

さて、前回の続きなのだ。一般的な事例を確認していて気づいたこと。
1つ1つの要因では問題がないが、複合体になると厄介になるということ。

結論を先に言おう。
前回示した例がたし算で襲ってくるとストレス以外の何ものでもないということ。

かん高い声で早口で矢継ぎ早でものを言う。
精神的圧迫以外の何ものでもない。頭痛を超えて、脳がしめつけられる。

ただでさえ、病気のせいで処理能力が落ちている。
その相手に矢継ぎ早に早口でものを言うのは暴力に近いものがある。

「聞いていない」が報告を受けていないの意味で使われると不愉快になる。
そこにいた他の人が「聞いている」時は特に。

その上で、自身の言いたいことを自信に満ちて押し付けがましくしゃべってくる。
自身の発言に疑いを持っておらず、反対の賛成みたいな場合が多い。

それらを私が嫌いな周波数帯でしゃべられると、それこそ聞きたくなくなる。
それでも仕方がないから、頭には来るが、ある程度は聞いてやる。

思い込みによる誤った事実文を感情的に言ってくると、なおさらたちが悪い。
感情に伴う不愉快な音調というのは、録音して聞いてもらわなければ伝わらない。

こちらが怒りを表面化できれば、少しは発散されるだろう。
しかし、今の病気では身体が固まってしまう症状に陥る。

こちらが反論すると、怒りや憤りを伴いかねない。
その結果、脳細胞が発火してしまうと再び病床に戻ることになる。

シメに鶴光のオールナイトニッポンで流れていたジングルを。
「ものの言い方1つで命ほかす時もあんねや。」  つづく。